2018年12月19日水曜日

Jimi Hendrix

1942-1970

ロック界最高峰のギタリストの一人だ。亡くなって随分時が経ったので知らない人も多いかもしれないが、ギターを志す者なら触れておいて絶対に損はない。あえて1曲だけというならやはり「Little Wing」になろうが、彼のギターから学ぶものは非常に多い。

Beatlesもそうだが、次の時代の標準・常識になってしまったものは、後代からすると当時のインパクトがなかなか分かりにくい。「どうしてそんなに評価されてるの?別に普通じゃん」みたいな感想になるのは、その「普通じゃん」というセリフ自体が既にブッ飛んでいることに気がつかない。私でもあなたでも、世界で常識と呼べる新しいものを作り出すなど、ほぼ不可能。普通と思うことを作り出したから凄いということだ。

ジミが何を作り出したか?
それは時代背景と密接に関係している。その少し前、少し後を見ればすぐに分かる。
例えば60年代中期の王者・BeatlesやStonesの音作りと、70年代中期の王者・ZeppelinやPurple、Sabbathといったバンドの音作り。特に決定的に違うのはギターだ。60年代のギターの使い方のメインはリズム・ギターでコード弾きがメイン。アコースティック・ギターの延長上にある発想だ。70年代になると、1音や2音でのリフやベースと同様のルート弾き、全音符で伸ばす、1度5度奏法等。60年代の発想ではかなり薄っぺらく存在感のないギターになりそうなものだが、70年代はそうはならない。
一番違うのはギター・アンプの性能だ。大音量で歪んだ存在感のある音で弾く。これが一番違う。

このアンプの発展の恩恵を得た最初の一人がジミというわけだ。
同時代で少し先輩格(年齢はジミが3つ上)のエリック・クラプトンとも比較されがちだ。クラプトンも大音量で弾ける最初期のギタリストだが、「歌うように弾く」と形容された。つまり特徴的なチョーキングやビブラートを形容しているのだが、これもアンプの性能向上の賜物だ。
そしてジミになるとクラプトン以上にギターを歌わせる。というか、クラプトンがギターを歌わせるのは、主にソロでのビブラートによるものだが、ジミの場合は歌わせるだけでなく、唸りを上げさせ悲鳴を上げさせ、炎を上げさせる(これは奏法ではなくパフォーマンスだが)。とにかく何でもありなのだ。こうなると当時は品がないと批判もされたし、性的すぎるという批判もあった。そのあたりがクラプトンとの違いになってくる。
伝説ともなっているウッドストックでの「Star Spangled Banner」の演奏。メロディの合間にベトナム戦争を想起させる爆撃や爆発の音をギターで表現しているのも、歌わせる以上のプレイの好例だ。
これは主にアーミングによるものだが、他にもハンド・ビブラートやワウのプレイなど、かなり多彩だ。

そして「Little Wing」だ。この曲ではバッキングでも歌っている。これは凄い。「ギターで歌えるクラプトン」にもないものだ。
コード弾き+オブリガードというのでもなく、両者が混ざっている状態。こんなプレイをやるのは誰もいなかったし、その後も意識してジミの真似をする以外はあまり多くはない。それほど独特のプレイだ。コードを追いつつ、崩しつつ、ちょっとしたフレーウを入れつつ、しかもヴォーカルもとる。天才だ!

そんなジミの早すぎる死。結構謎めいているが、しかし、この時に死ななくてもこの時代のドラッグが蔓延している中から生還するのは厳しかったかもしれない。
もし生き延びていたらどんなプレイを聴かせてくれていただろう?ジャズにいったのでは?とか、ベックのようにフュージョン寄りになったはずと色々な説があるが、今となっては謎のまま。もう数年でもいいから色々聴かせてほしかったと今さらながら失ったものの大きさを想う・・・。

2018年12月14日金曜日

カボチャ軍団・Helloween

友達の影響で初期の頃から聴いている。最初は早いテンポとアホみたいにヒステリックな高音ボーカルに「バカじゃね?」という感じだったが、怖いものみたさで聴いているうちにすっかりハマってしまった。
今聴けば、それほど強烈・過激な感じでもないし、無茶苦茶なボーカルに聴こえたものだが、かなりメロディックでポップだ。そしてそれこそがHelloweenの魅力だ。早くて激烈なメタルの雰囲気だが、ポップで分かりやすいボーカル。ギターも過激な雰囲気を漂わせながら、実際はかなり分かりやすく、ツイン・ギターは劇的でもある。

初めてHelloweenを知ったのは1986年。「Ride The Sky」を筆頭に、「Starlight」「Gurdians」「Judas」等、お気に入り曲はいくつもあった。海賊版のライブ・ビデオも手に入れカイ・ハンセンのカリスマ性に魅かれもした。ギター初心者だったが、早い16分音符のピッキング練習をたくさんした。

87年には新メンバーのマイケル・キスクを入れて今や伝説の『Keeper of The Seven Keys Part 1』をリリース。初めて聴いた時は「ソフトになったし、ボーカルはカイの方が良いなぁ」といった感じだった。キスクは高音も楽々出すが、カイはキツそうな分、ヒステリックというか狂気じみた感じに聴こえ、それも魅力だったからだ。曲はより分かりやすくなり、それがソフトになったと印象づける原因だった。
しかし、聴けば聴くほど気に入り、結局はHelloweenのベスト・アルバムだと今でも思っている。気に入った最初の要因は、ギターだ。前作までより断然分離が良くなったので、ツイン・ハーモニーのソロをコピーするのが容易になった。特に分かりやすい「I'm Alive」や「Halloween」はコピーしてCDに合わせて弾いたものだ。(当時のコピーは間違っていたが)
現在は全曲気に入っているが、当時は上記2曲と、「Twilight Of The Gods」「A Tale That Wasn't Right」がお気に入りだった。意外にも(?)「Future World」はそれほど好きではなかった。

続く88年の『Part 2』もなかなかで、好き度はやや『Part 1』が上だが、甲乙つけがたく素晴らしい出来だった。当時にお気に入りだった曲は「Keeper of the Seven Keys」「March of Time」「We Got the Right」「Rise and Fall」といったところ。「Eagle Fly Free」や「I Want Out」は「まあまあだな」という程度だった。私は変わり者かもしれない。
もちろん現在は、このアルバム曲も全部好きだ。

ところが、この後の『Pink Bubbles Go Ape』がいけない。Helloweenの要と思っていた、実質リーダーのはずのカイ・ハンセンが脱退してしまい、その上、初期に契約していたNOISEレコードとモメて発売が伸び伸びになってしまい、しばらく音信不通になってしまったからだ。発売されたのは91年になってからだ。
このアルバムにも良い曲が沢山あるが、いったん冷めてしまった熱は戻らなかったし、雰囲気が変わってしまったのも事実だろう。カイがいなくなったことだけでなく、バンド内のバランスにも色々変化があったようだ。
この次の『Chameleon』は更に「困ったちゃん」アルバムだ。良い曲もあるのだが、Helloweenに期待しているものと違いすぎるからだ。キスクのソロだったら気に入っただろうし、現にキスクの1stソロなど相当好きな1枚だ。

Helloweenからキスクが脱退し、もはや復活は無理と諦めていた頃、アンディ・デリスを迎えて『Master of the Rings』がリリースされた。アルバム名が何となく『Keeper』と似ていることから、ダメ元で聴いてみた。
「Helloweenが戻ってきた!」キスクとは違うが、まさにHelloweenだ! 正直、嬉しかった。
一番好きなのは「Why?」だが、「Where The Rain Grows」「In The Middle Of A Heartbeat」あたりも好きだし、その他もどれも良い出来だ。新加入のアンディの作る曲がほどよくポップでHelloweenにピッタリだ。前バンドのPink Cream 69も聴いてみたが、今いちだった。Helloweenの方が彼にあっているのだろう。

こうしてHelloweenはアンディをバンドの顔として再出発をする。あれから四半世紀。現在はカイとキスクを戻して夢のラインナップで『Pumpkin United』のツアーをしているし、ライブ・アルバムもリリースする予定らしい。是非とも買いたいと思う。アルバムも1枚は出してほしいし、このランナップを長く続けてほしいと期待している。無理かもしれないけど。。。

2018年12月6日木曜日

Bernie Marsden

Whitesnakeのバンド結成時に加入したバーニー・マースデン。すでにデイヴィッドの2枚のソロ・アルバムからミッキー・ムーディがギタリストとしてデイヴィッドの補佐役となっていたが、デイヴィッドが(Deep Purpleとの差別化の意味もあり)ツイン・ギターのバンドを想定していたし、ミッキーも自分が一人で看板ギタリストを背負うのは自信がなかったらしく、あっさりとバーニー・マースデンを加えることになっている。
バーニーのギタリストとしての腕はもちろんだが、それ以上に作曲能力や歌が上手いことも参加の決め手となっている。つまりデイヴィッドは作曲の相棒として見ていたことになる。これは後のメル・ギャレー、ジョン・サイクス、エイドリアン・ヴァンデンバーグ等と同じ立場だ。デイヴィッドは作曲パートナーの存在を重要視しているので、加入時からバーニーは特別な存在であったことが分かる。

バーニーは加入後、早速作曲で能力を見せつけ、短時間で「Come On」を作って見せる。それ以降のWhitesnakeの曲作りはディヴィッドとバーニーが核となり、たまにミッキーという図式になる。
本当は、当初はバーニーだけがパートナーではなく、曲を書ける人は書くスタイルだったようだが、ミッキーは多作な方ではなく、大物ミュージシャンのジョン・ロードやイアン・ペイスも作曲能力はたいしたことがないので、デイヴィッドとバーニー中心にならざるを得ない状態で、何よりそれがデイヴィッドのスタイルとして楽なやり方となっていく。それはDeep Purpleでリッチー・ブラックモアが何かギターのアイディアを示し、それに適当なメロディをつけて歌いながら曲の骨子を固めていくというやり方と同じで、それがデイヴィッドの曲作りのスタイルとなることになっていく。
このスタイルのおかげで悩まなくてはいけなくなるのがヴィヴィアン・キャンベルだったりレブ・ビーチだったりするのだが、それはまた別の機会に。

デイヴィッドとバーニーの相性は良く、次々に名曲を生み出し、ヒット曲も出した。「Fool For Your Loving」だ。
バンドは短いサイクルで激烈に活動し、早いテンポでアルバムを出し、ライブ・ツアーに明け暮れ、やがて疲弊していく。バンドが悪いマネジメント契約に縛られ、働いても働いても金が回って来ない状況にもウンザリしている状態。ミッキーによると、「売れていて、ライブでも人が満杯になるのに、いつもバンドは借金をかかえている」と言われていたそうだ。
バーニがクビになる原因は、恐らく明るい性格のバーニーが悪ノリしすぎていて、バンドの契約問題でピリピリしていたデイヴィッドの怒りを買ったからだろう。バンドに緊張感がなく、停滞気味になっている一番の元凶は能天気な雰囲気のバーニーだということになったのだと思う。バンドの士気も下がりに下がって、結局1981年いっぱいで、マネジメント契約から脱するためにもバンドは活動停止状態となる。
その一方で、デイヴィッドとバーニーはバンドがダメになっても作曲パートナーは存続させようと語り合ったそうだ(バーニー談)。ということは、デイヴィッドはバーニーの作曲能力や相性の良さを自覚していたということと、Whitesnakeがここで消え失せるのも覚悟していたのだということが分かる。

1982年夏にバンドが再開した時、そこにバーニーの名前はなかった。デイヴィッドの長年の念願だったメル・ギャレーの参加が決まったからだ。簡単に言えばデイヴィッドの裏切りだ。ここでバーニーのWhitesnakeとしての歴史は終わる。

だが、バーニーの遺した遺産はバンドにもデイヴィッド個人にも多大なものがあった。半年もすると早くもデイヴィッドは懐かしく思い、メルに「バーニーはこうやっていた」とか「バーニーはこんな風に弾いていた」と言うようになり、気を悪くしたメルが「それならバーニーを戻したらどうだ」と言い返したという。
楽観的でさっぱりした性格のバーニーは、1983年にWhitesnakeを見に行き、そこで裏切り者・デイヴィッドとも声をかわしている。だからバーニーとデイヴィッドの仲は悪くない。

デイヴィッドは敵を作りやすいタイプの人間で、侮辱して去らせたミッキー・ムーディ、陰湿に別れることになったコージー・パウエル、大ゲンカしたジョン・サイクス、見下したように去っていったヴィヴィアン・キャンベル等、最悪の関係になってしまった人も少なくないが、バーニーとは友好的な別れであった。それはひとえにバーニー側の性質によるところが大きい。
デイヴィッドが人を切る際、突然連絡を断ち、金も支払わず、それっきり、というパターンがほとんどだ。問題のあるやり方だが、それをまともに乗り越えたのはバーニーだけではないかと思う。バーニーは最近でも何度かWhitesnakeのライブに飛び入り参加している。

そして忘れてはならないのは、Whitesnakeが大ブレイクしたのもバーニーの功績が大きいということだ。『Serpens Albus』の「Here I Go Again」と『Slip of The Tongue』の「Fool For Your Loving」はバーニーの曲だ。(「Crying In The Rain」もバーニー時代の曲)
特に「Here I Go Again」は1位になっているし貢献度は大きい。Whitesnakeの大ブレイクはバーニーの曲とタウニー・キタエン(ビデオ・クリップで目立ちまくった)、そして時代に乗ったヘア・メタルのインパクトが3大要因ともいえる。もちろんWhitesnakeはデイヴィッドのバンドなので、本人の頑張りが一番大きいし、ジョン・サイクスの貢献度も大きいに決まっているが、それは売れたアルバムなら当然のことだ。それが基本的にある上で、バーニーとタウニーとヘア・メタルの雰囲気が大きかったという話しだ。

思うに、バーニーだけはWhitesnakeの数多くの元メンバーたちの中でも一番の重要人物といえるのではないかと思う。
ミッキーも重要で、デイヴィッドにとっての最初の相棒だが、曲作りでの貢献はアップテンポのロック・ソングのみ(デイヴィッドの初期の2枚のソロを聴けば瞭然)だし、ギタリストとしても弱い。弾きまくるハードロッカーとして、そして作曲家、またヴォーカリストとしてもWhitesnake始動の最大の推進力だったといえると思う。2枚のソロよりもWhitesnakeの最初のEPや1stアルバムの方が魅力的なのを見ても明らかだ。何といってもハードロック・テイストが加わっている。
また「Free Flight」ではバーニーがリード・ヴォーカルだし、「Lie Down」にもソロのパートがあるように、Deep Purpleでのヂヴィッドとグレン・ヒューズのようなツイン・ヴォーカルの再現を目論んだ形跡もある。このあたりからもバーニーの存在感の大きさが分かる。

バーニーはハッピーな性格で、時折イタズラな感じも漂わせつつ、いつも楽しそうにニコやかな表情を浮かべている(ステージではデイヴィッドがやや強面を狙うような感じでやっていたのとは対照的)。解雇の時も恨みつらみを引きずらないし、かなりのナイス・ガイだと思う。ちょっと太めなのが玉に傷といったところ。