2019年1月18日金曜日

Beatlesはどこが凄いのか?

Beatlesはどこが凄いのか?ズバリ答えるのはかなり難しい。凄い事実や記録はいくらでも思いつくが、一つか二つに絞るのは大変だ。
それでも無理に絞ってみよう。色々考えてみた。

一つだけに言うなら「新鮮な風と、エネルギーをもたらした」ということではないかと思う。
時代背景を考えると、Beatles全盛期は第二次世界大戦終戦から20年後。社会の混乱から復興し、上り調子になっている時代だ。古い時代から新しい時代へと変革していくまっただ中にBeatlesは登場した。そして新しいスタイルを次々と確立して、新しい時代・世代を体現して見せた。それで新しい世代だと認識した若者が色々なムーブメント(モッズとかヒッピーとか)を起こしたり、新しい感覚を持って次の時代に向かった。
これはBeatlesの功績というより、そういう時代だったからこそ出たもので、それに最高にうまく乗ったのがBeatlesだったということなのだと思う。Beatlesがいなくても変わりの誰かが時代の波に乗ったに違いないけれど、現実に時代の象徴となれたのはBeatlesだ。

「新鮮な風」を吹かすということは、前例を否定することだ。そして「こういうのもアリなんだ!」と気付かせ、人々に前進する勇気を与えることだ。それをBeatlesがやった。「新しいことをやれよ」なんて一言も言わない。ただ、常識に捕われずに良いと思うことをやっただけだろう。そのスタイル自体が新しかった。

例えば、曲を自作自演する。現代では当たり前で、そもそもアーティストはそういうものと思っているが、当時は違っていた。作曲家の先生に曲を書いてもらい、作詞家、編曲家の先生のお世話になるというのが常識的順序だった。Beatlesの場合もデビュー作「Love Me Do」が自作の曲でそこそこのヒットを出したので、2作目で勝負をかけるべく、プロの作曲家作の曲を用意した。しかし、その曲(「How Do You Do It」)を蹴って(新人のクセに)、2作目も自作の曲をリリース。しかしこれが大ヒット。痛快だ。
以来、自作曲を出すのは当たり前となり、他バンドにも影響を与える。例えばRollong Stonesは作曲が苦手(彼らのデビュー2作目はBeatlesの曲だ!)だったが、それではいかんとミック・ジャガーとキース・リチャーズを缶詰状態にして曲が出来るまでは外に出さないという荒技で作曲させたりした。60年代後期から70年代には「シンガー・ソング・ライター」という言葉が生まれ、それから20年以上も使われる言葉となったが、これはただの「シンガー」ではなく「ソング・ライター」でもあるぞというアピールの表われだ。そこで、一般に「歌手」とか「楽団」「バンド」という呼び方から現代のように「アーティスト」と呼ばれるようになる。

これは自作自演だけでなく、曲の内容も「恋の歌」から、何らかのメッセージ性のある歌など、内容の濃いものに変化したからで、これもやはりBeatlesが最初だ。自分で曲を作るということに加え、内容も変えてしまう。「そんな内容では売れないぞ」とオドシをかけられただろうが、デビューから数年で絶対的な存在になったため、そこからは自由なことが出来たからこそだ。
例えば「Help!」というカッコいいアップ・テンポのロック・ソングでは、曲の雰囲気とは裏腹に「現在の自分たちの環境から抜け出したい。助けてくれ」という、悲痛な、ある意味皮肉な感じの内容になっていて、まったく売れ線狙いとは言えない。「In My Life」は「Strawberry Fields Forever」では幼少期の記憶が歌われているし、「All You Need Is Love」では「男女間の恋」ではなく「人類愛」を歌っている(ここまでいずれもジョンの曲)。「Taxman」や「Piggies」のように政治的な歌もある(この2曲はジョージの曲)、とにかく一般的ウケしそうな恋の歌ばかりではない。(もちろん恋の歌も沢山ある)
メッセージ性があるから、もはや「歌手」というより「アーティスト」ということになった。

演奏スタイルも新しく、それまでは普通、バンド名はリーダーの名前になる。エルビスやチャック・ベリー等はそのまま個人名だし、Bill Haley & The Commetsのように、シンガーとバック・バンドの形をとるのが普通だった。バンド名だけの場合はVenturesのように歌がない、インストゥルメンタル・バンドを指していた。
Beatlesの場合も、当初はジョンをリード・シンガーにして、Johnny & The Moondogsと名乗っていた時代もあったが、一人をフューチャーするのはやめになった。以降、個人名でなくバンド名だけの例はいくらでもあり、当たり前となった。

このようにBeatlesが吹かせた「新鮮な風」は沢山あって、上記以外にもいくらでもある。演奏スタイル、録音技術のような音楽的なことから、映画やファッション、発言に至るまで様々だ。曲のパターンやコード進行など、「すべてBeatlesがやってしまったことの焼き直しにすぎない」という話しさえあるくらいだ。
そして何よりこの「新鮮な風」で得た勇気とエネルギーから、フラワー・ムーブメントやベトナム戦争への反対運動のような様々な動きにつながっていくことになる。まさに「時代の象徴」「時代の申し子」のような存在だ。時代の申し子になれたことが偉大だというべきか。
だから、もし他の時代にジョンとポールがいて出会っても、いや、ジョン以上、ポール以上のミュージシャンがバンドを組んでもBeatlesにはなれないということにもなる。ジョンやポールが優れた偉大なミュージシャンであることは間違いないが、時代の流れにピッタリとハマったことが一番凄いことだし、奇跡的な出来事だといえる。

2018年12月19日水曜日

Jimi Hendrix

1942-1970

ロック界最高峰のギタリストの一人だ。亡くなって随分時が経ったので知らない人も多いかもしれないが、ギターを志す者なら触れておいて絶対に損はない。あえて1曲だけというならやはり「Little Wing」になろうが、彼のギターから学ぶものは非常に多い。

Beatlesもそうだが、次の時代の標準・常識になってしまったものは、後代からすると当時のインパクトがなかなか分かりにくい。「どうしてそんなに評価されてるの?別に普通じゃん」みたいな感想になるのは、その「普通じゃん」というセリフ自体が既にブッ飛んでいることに気がつかない。私でもあなたでも、世界で常識と呼べる新しいものを作り出すなど、ほぼ不可能。普通と思うことを作り出したから凄いということだ。

ジミが何を作り出したか?
それは時代背景と密接に関係している。その少し前、少し後を見ればすぐに分かる。
例えば60年代中期の王者・BeatlesやStonesの音作りと、70年代中期の王者・ZeppelinやPurple、Sabbathといったバンドの音作り。特に決定的に違うのはギターだ。60年代のギターの使い方のメインはリズム・ギターでコード弾きがメイン。アコースティック・ギターの延長上にある発想だ。70年代になると、1音や2音でのリフやベースと同様のルート弾き、全音符で伸ばす、1度5度奏法等。60年代の発想ではかなり薄っぺらく存在感のないギターになりそうなものだが、70年代はそうはならない。
一番違うのはギター・アンプの性能だ。大音量で歪んだ存在感のある音で弾く。これが一番違う。

このアンプの発展の恩恵を得た最初の一人がジミというわけだ。
同時代で少し先輩格(年齢はジミが3つ上)のエリック・クラプトンとも比較されがちだ。クラプトンも大音量で弾ける最初期のギタリストだが、「歌うように弾く」と形容された。つまり特徴的なチョーキングやビブラートを形容しているのだが、これもアンプの性能向上の賜物だ。
そしてジミになるとクラプトン以上にギターを歌わせる。というか、クラプトンがギターを歌わせるのは、主にソロでのビブラートによるものだが、ジミの場合は歌わせるだけでなく、唸りを上げさせ悲鳴を上げさせ、炎を上げさせる(これは奏法ではなくパフォーマンスだが)。とにかく何でもありなのだ。こうなると当時は品がないと批判もされたし、性的すぎるという批判もあった。そのあたりがクラプトンとの違いになってくる。
伝説ともなっているウッドストックでの「Star Spangled Banner」の演奏。メロディの合間にベトナム戦争を想起させる爆撃や爆発の音をギターで表現しているのも、歌わせる以上のプレイの好例だ。
これは主にアーミングによるものだが、他にもハンド・ビブラートやワウのプレイなど、かなり多彩だ。

そして「Little Wing」だ。この曲ではバッキングでも歌っている。これは凄い。「ギターで歌えるクラプトン」にもないものだ。
コード弾き+オブリガードというのでもなく、両者が混ざっている状態。こんなプレイをやるのは誰もいなかったし、その後も意識してジミの真似をする以外はあまり多くはない。それほど独特のプレイだ。コードを追いつつ、崩しつつ、ちょっとしたフレーウを入れつつ、しかもヴォーカルもとる。天才だ!

そんなジミの早すぎる死。結構謎めいているが、しかし、この時に死ななくてもこの時代のドラッグが蔓延している中から生還するのは厳しかったかもしれない。
もし生き延びていたらどんなプレイを聴かせてくれていただろう?ジャズにいったのでは?とか、ベックのようにフュージョン寄りになったはずと色々な説があるが、今となっては謎のまま。もう数年でもいいから色々聴かせてほしかったと今さらながら失ったものの大きさを想う・・・。

2018年12月14日金曜日

カボチャ軍団・Helloween

友達の影響で初期の頃から聴いている。最初は早いテンポとアホみたいにヒステリックな高音ボーカルに「バカじゃね?」という感じだったが、怖いものみたさで聴いているうちにすっかりハマってしまった。
今聴けば、それほど強烈・過激な感じでもないし、無茶苦茶なボーカルに聴こえたものだが、かなりメロディックでポップだ。そしてそれこそがHelloweenの魅力だ。早くて激烈なメタルの雰囲気だが、ポップで分かりやすいボーカル。ギターも過激な雰囲気を漂わせながら、実際はかなり分かりやすく、ツイン・ギターは劇的でもある。

初めてHelloweenを知ったのは1986年。「Ride The Sky」を筆頭に、「Starlight」「Gurdians」「Judas」等、お気に入り曲はいくつもあった。海賊版のライブ・ビデオも手に入れカイ・ハンセンのカリスマ性に魅かれもした。ギター初心者だったが、早い16分音符のピッキング練習をたくさんした。

87年には新メンバーのマイケル・キスクを入れて今や伝説の『Keeper of The Seven Keys Part 1』をリリース。初めて聴いた時は「ソフトになったし、ボーカルはカイの方が良いなぁ」といった感じだった。キスクは高音も楽々出すが、カイはキツそうな分、ヒステリックというか狂気じみた感じに聴こえ、それも魅力だったからだ。曲はより分かりやすくなり、それがソフトになったと印象づける原因だった。
しかし、聴けば聴くほど気に入り、結局はHelloweenのベスト・アルバムだと今でも思っている。気に入った最初の要因は、ギターだ。前作までより断然分離が良くなったので、ツイン・ハーモニーのソロをコピーするのが容易になった。特に分かりやすい「I'm Alive」や「Halloween」はコピーしてCDに合わせて弾いたものだ。(当時のコピーは間違っていたが)
現在は全曲気に入っているが、当時は上記2曲と、「Twilight Of The Gods」「A Tale That Wasn't Right」がお気に入りだった。意外にも(?)「Future World」はそれほど好きではなかった。

続く88年の『Part 2』もなかなかで、好き度はやや『Part 1』が上だが、甲乙つけがたく素晴らしい出来だった。当時にお気に入りだった曲は「Keeper of the Seven Keys」「March of Time」「We Got the Right」「Rise and Fall」といったところ。「Eagle Fly Free」や「I Want Out」は「まあまあだな」という程度だった。私は変わり者かもしれない。
もちろん現在は、このアルバム曲も全部好きだ。

ところが、この後の『Pink Bubbles Go Ape』がいけない。Helloweenの要と思っていた、実質リーダーのはずのカイ・ハンセンが脱退してしまい、その上、初期に契約していたNOISEレコードとモメて発売が伸び伸びになってしまい、しばらく音信不通になってしまったからだ。発売されたのは91年になってからだ。
このアルバムにも良い曲が沢山あるが、いったん冷めてしまった熱は戻らなかったし、雰囲気が変わってしまったのも事実だろう。カイがいなくなったことだけでなく、バンド内のバランスにも色々変化があったようだ。
この次の『Chameleon』は更に「困ったちゃん」アルバムだ。良い曲もあるのだが、Helloweenに期待しているものと違いすぎるからだ。キスクのソロだったら気に入っただろうし、現にキスクの1stソロなど相当好きな1枚だ。

Helloweenからキスクが脱退し、もはや復活は無理と諦めていた頃、アンディ・デリスを迎えて『Master of the Rings』がリリースされた。アルバム名が何となく『Keeper』と似ていることから、ダメ元で聴いてみた。
「Helloweenが戻ってきた!」キスクとは違うが、まさにHelloweenだ! 正直、嬉しかった。
一番好きなのは「Why?」だが、「Where The Rain Grows」「In The Middle Of A Heartbeat」あたりも好きだし、その他もどれも良い出来だ。新加入のアンディの作る曲がほどよくポップでHelloweenにピッタリだ。前バンドのPink Cream 69も聴いてみたが、今いちだった。Helloweenの方が彼にあっているのだろう。

こうしてHelloweenはアンディをバンドの顔として再出発をする。あれから四半世紀。現在はカイとキスクを戻して夢のラインナップで『Pumpkin United』のツアーをしているし、ライブ・アルバムもリリースする予定らしい。是非とも買いたいと思う。アルバムも1枚は出してほしいし、このランナップを長く続けてほしいと期待している。無理かもしれないけど。。。

2018年12月6日木曜日

Bernie Marsden

Whitesnakeのバンド結成時に加入したバーニー・マースデン。すでにデイヴィッドの2枚のソロ・アルバムからミッキー・ムーディがギタリストとしてデイヴィッドの補佐役となっていたが、デイヴィッドが(Deep Purpleとの差別化の意味もあり)ツイン・ギターのバンドを想定していたし、ミッキーも自分が一人で看板ギタリストを背負うのは自信がなかったらしく、あっさりとバーニー・マースデンを加えることになっている。
バーニーのギタリストとしての腕はもちろんだが、それ以上に作曲能力や歌が上手いことも参加の決め手となっている。つまりデイヴィッドは作曲の相棒として見ていたことになる。これは後のメル・ギャレー、ジョン・サイクス、エイドリアン・ヴァンデンバーグ等と同じ立場だ。デイヴィッドは作曲パートナーの存在を重要視しているので、加入時からバーニーは特別な存在であったことが分かる。

バーニーは加入後、早速作曲で能力を見せつけ、短時間で「Come On」を作って見せる。それ以降のWhitesnakeの曲作りはディヴィッドとバーニーが核となり、たまにミッキーという図式になる。
本当は、当初はバーニーだけがパートナーではなく、曲を書ける人は書くスタイルだったようだが、ミッキーは多作な方ではなく、大物ミュージシャンのジョン・ロードやイアン・ペイスも作曲能力はたいしたことがないので、デイヴィッドとバーニー中心にならざるを得ない状態で、何よりそれがデイヴィッドのスタイルとして楽なやり方となっていく。それはDeep Purpleでリッチー・ブラックモアが何かギターのアイディアを示し、それに適当なメロディをつけて歌いながら曲の骨子を固めていくというやり方と同じで、それがデイヴィッドの曲作りのスタイルとなることになっていく。
このスタイルのおかげで悩まなくてはいけなくなるのがヴィヴィアン・キャンベルだったりレブ・ビーチだったりするのだが、それはまた別の機会に。

デイヴィッドとバーニーの相性は良く、次々に名曲を生み出し、ヒット曲も出した。「Fool For Your Loving」だ。
バンドは短いサイクルで激烈に活動し、早いテンポでアルバムを出し、ライブ・ツアーに明け暮れ、やがて疲弊していく。バンドが悪いマネジメント契約に縛られ、働いても働いても金が回って来ない状況にもウンザリしている状態。ミッキーによると、「売れていて、ライブでも人が満杯になるのに、いつもバンドは借金をかかえている」と言われていたそうだ。
バーニがクビになる原因は、恐らく明るい性格のバーニーが悪ノリしすぎていて、バンドの契約問題でピリピリしていたデイヴィッドの怒りを買ったからだろう。バンドに緊張感がなく、停滞気味になっている一番の元凶は能天気な雰囲気のバーニーだということになったのだと思う。バンドの士気も下がりに下がって、結局1981年いっぱいで、マネジメント契約から脱するためにもバンドは活動停止状態となる。
その一方で、デイヴィッドとバーニーはバンドがダメになっても作曲パートナーは存続させようと語り合ったそうだ(バーニー談)。ということは、デイヴィッドはバーニーの作曲能力や相性の良さを自覚していたということと、Whitesnakeがここで消え失せるのも覚悟していたのだということが分かる。

1982年夏にバンドが再開した時、そこにバーニーの名前はなかった。デイヴィッドの長年の念願だったメル・ギャレーの参加が決まったからだ。簡単に言えばデイヴィッドの裏切りだ。ここでバーニーのWhitesnakeとしての歴史は終わる。

だが、バーニーの遺した遺産はバンドにもデイヴィッド個人にも多大なものがあった。半年もすると早くもデイヴィッドは懐かしく思い、メルに「バーニーはこうやっていた」とか「バーニーはこんな風に弾いていた」と言うようになり、気を悪くしたメルが「それならバーニーを戻したらどうだ」と言い返したという。
楽観的でさっぱりした性格のバーニーは、1983年にWhitesnakeを見に行き、そこで裏切り者・デイヴィッドとも声をかわしている。だからバーニーとデイヴィッドの仲は悪くない。

デイヴィッドは敵を作りやすいタイプの人間で、侮辱して去らせたミッキー・ムーディ、陰湿に別れることになったコージー・パウエル、大ゲンカしたジョン・サイクス、見下したように去っていったヴィヴィアン・キャンベル等、最悪の関係になってしまった人も少なくないが、バーニーとは友好的な別れであった。それはひとえにバーニー側の性質によるところが大きい。
デイヴィッドが人を切る際、突然連絡を断ち、金も支払わず、それっきり、というパターンがほとんどだ。問題のあるやり方だが、それをまともに乗り越えたのはバーニーだけではないかと思う。バーニーは最近でも何度かWhitesnakeのライブに飛び入り参加している。

そして忘れてはならないのは、Whitesnakeが大ブレイクしたのもバーニーの功績が大きいということだ。『Serpens Albus』の「Here I Go Again」と『Slip of The Tongue』の「Fool For Your Loving」はバーニーの曲だ。(「Crying In The Rain」もバーニー時代の曲)
特に「Here I Go Again」は1位になっているし貢献度は大きい。Whitesnakeの大ブレイクはバーニーの曲とタウニー・キタエン(ビデオ・クリップで目立ちまくった)、そして時代に乗ったヘア・メタルのインパクトが3大要因ともいえる。もちろんWhitesnakeはデイヴィッドのバンドなので、本人の頑張りが一番大きいし、ジョン・サイクスの貢献度も大きいに決まっているが、それは売れたアルバムなら当然のことだ。それが基本的にある上で、バーニーとタウニーとヘア・メタルの雰囲気が大きかったという話しだ。

思うに、バーニーだけはWhitesnakeの数多くの元メンバーたちの中でも一番の重要人物といえるのではないかと思う。
ミッキーも重要で、デイヴィッドにとっての最初の相棒だが、曲作りでの貢献はアップテンポのロック・ソングのみ(デイヴィッドの初期の2枚のソロを聴けば瞭然)だし、ギタリストとしても弱い。弾きまくるハードロッカーとして、そして作曲家、またヴォーカリストとしてもWhitesnake始動の最大の推進力だったといえると思う。2枚のソロよりもWhitesnakeの最初のEPや1stアルバムの方が魅力的なのを見ても明らかだ。何といってもハードロック・テイストが加わっている。
また「Free Flight」ではバーニーがリード・ヴォーカルだし、「Lie Down」にもソロのパートがあるように、Deep Purpleでのヂヴィッドとグレン・ヒューズのようなツイン・ヴォーカルの再現を目論んだ形跡もある。このあたりからもバーニーの存在感の大きさが分かる。

バーニーはハッピーな性格で、時折イタズラな感じも漂わせつつ、いつも楽しそうにニコやかな表情を浮かべている(ステージではデイヴィッドがやや強面を狙うような感じでやっていたのとは対照的)。解雇の時も恨みつらみを引きずらないし、かなりのナイス・ガイだと思う。ちょっと太めなのが玉に傷といったところ。

2018年11月29日木曜日

John Lennon

1940-1980

今年もまたこの季節がやって来る。毎年12月8日前後になると思い出す。偉大なミュージシャンの死にこれほど衝撃的だったことはない。暗殺だ。
政治家でもマフィアでもない、ただのミュージシャンを暗殺するなど、あり得るだろうか。それが現実になった。本当に信じられない。

ジョンは、もちろんBeatlesの主要メンバーの一人で、ほぼ創設者兼リーダー(少なくとも初期は)だ。ジョンに憧れ影響を受けた人は世界中に数限りなくおり、私もその一人。
皮肉なことに、私とジョンの出会いはこの暗殺事件のニュースだ。小学生だった当時、私はBeatlesは名前くらいしか知らず、「外国の歌手」という認識で、その一人が殺されて衝撃的だったという周囲の反応を覚えているくらい。それと、その頃のニュースでよくかかっていたのが、なぜか「Yesterday」と「Let It Be」が多かったということ。どちらもポールの曲だが、物悲しい雰囲気と暗示的な内容が何となく事件とマッチすると判断されたのだろう。
この事件をキッカケに私はBeatlesに詳しくなっていく。

さて、言うまでもなくジョンは偉大なミュージシャンで多大な影響力を持っていたが、ジョンの偉大さとBeatlesの偉大さは必ずしも一致しないと思う。
Beatlesは社会現象で、ポピュラー・ミュージック界を変え、ロックのスタイル(演奏スタイルから作詞作曲、録音方法まで)を変え、というような、もちろんとんでもない影響力を与えたバンドなのだが、ジョンの場合はその生き方そのものにメッセージ性や考えさせるもの、影響力がある。この部分ではBeatlesの他のメンバーよりもジョンは圧倒的だといえる。

Beatlesの中期頃までは、皮肉家だったり、攻撃的だったり、ジョークがちょっとキツかったりはするものの、他のメンバーとあまり変わらなかった。しかしオノ・ヨーコと出会い、「All You Need Is Love」を歌うあたりから急速に変わっていく。それはヨーコが変えたというのではなく、もともとそういう部分があったところに、ヨーコが触媒のような働きをしたということだと私は理解している。ヨーコと出会う前から、ジョンの詞は内面をえぐるようなものが多かったし、結構赤裸裸で、傷つきやすさのようなものがあった。勢いがありカッコいいロック・ソングの「Help!」だって、曲調からは考えられないような詞だ。そもそもロックにハマったのも、「ロックはリアルで他のものはアン・リアルに見えた」ということだったので、最初から本当の自分、本当の姿、本当の姿勢やアテテュードといったものを求めていたのが分かる。

ヨーコと出会ってからは、バンドよりもより自己探求のような姿勢になり、また一方で反戦運動をしたり政治的なメッセージを語ったりするようになる。Beatlesは人気者(=アイドル)だったので、万人受けを狙い政治的な発言を慎むようにしていたが、「発言できないのならグループを去る」とまで言うようになる。
様々な反戦運動を行う中で、多くのファンを失い、敵対者すら現われ、アメリカ政府からも疎まれるようになる。一時はアメリカから国外退去になったりもし、ヨーコとも別居したりもするが、1975年に再びヨーコとくっつく。10月7日、4年に渡るアメリカ永住権を巡る裁判に勝訴。国外追放命令の破棄を勝ち取る。その連絡を受けたジョンは歓喜し、翌日臨月で入院中のヨーコに報告に行く。その日の深夜、待ち望んだ二人の間の子(ショーン)が生まれる。永住権と我が子がほぼ同時に手に入れたことになる。しかもその時に最初に交わした時のヨーコさんのセリフが凄い。「今は何時?」と聞いて12時を過ぎていることを知ると、「Happy Birthday, John」という。10月9日はジョンの誕生日だ。何てドラマチックなんだ。そしてすべてを得たジョンはショーン君を育てるために専業主夫となり、すべての音楽活動を停止するという、これまた驚きの行動に出る。
そして1980年、5歳になったショーン君に「パパはBeatlesだったの?」と聞かれたことをキッカケに音楽活動を再開し、5年ぶりにのアルバムをリリースした矢先、暗殺される・・・。波乱万丈では済まされないような激しい人生。

私はジョンから優しさとか挑戦する勇気とか正直さとか、様々なものを学んだが、最も重要なことは等身大の自分を見つめることではないかと思う。奢らず飾らず、しかしへりくだりすぎず、自分を卑下することもない。自分をよく見つめ、その自分に素直でいることが大事なのではないかと思って生きている。素直でシンプルというのは一番の強さではないかと思う。この辺りを突き詰めていくと、結局「Imagine」の世界観になっていくようで不思議だ。
人に接する時も、恐れず、相手を過大評価せず、見下さず、過小評価もしない。つまり等身大の相手を見ることが出来るようになりたいと思う。そして等身大の自分を出せるようになりたいと思う。

2018年11月22日木曜日

Beatlesのリミックス

Beatlesのリミックスを望んでいる。「Beatles原理主義」とでも言うような「絶対オリジナル主義」のファンも結構いるようだが、個人的にはリミックスに大賛成だ。
もちろん、私もリアル・タイム世代ではないから、後追いとして当時の音をそのまま聴きたいと思う気持ちは強いし、『Love』のような企画はたまには良いが、頻繁だと神話を冒涜されているようであまり良い気持ちはしないし、どうしても60年代を神聖視してしまうような部分もある。

すでに最後のオリジナル・アルバムがリリースされてから48年。ほぼ半世紀になる。2009年のリマスターでオリジナルに忠実にという作業は完了したと考えて良いのではないか。これからも技術革新があり最新技術で昔の音が良くなることはあるだろうが、すでにいい線をいっていると思う。

それよりも、そんな最近技術を駆使しながら、60年代のスタイルであるモノやリズム・トラックが全部片方のチャンネルから聴こえるようなステレオ・ミックスを聴くというのは何とも滑稽ではないかと思う。
現代の感覚を持った最新鋭のリミックスを聴いてみたいと思う。それは一種のBeatlesの新譜に近い感覚だ。

ただ、Beatlesを深くリスペクトしてくれる人たちに作業をしてもらいたい。『Love』のようにBeatlesで遊ぶのではなく、あくまでBeatlesの新しい楽典というか、バイブルというか、次の時代にも通じるような時代を超越するリミックスであってほしい。
それは60年代がまだ技術の発達があまりんも未熟だったからだ。2005年と2015年の曲を聴いても、多少の流行り廃りはあるものの時代の違いは決定的には分からない。1960年と1970年だと劇的に違う。60年は普通はモノラルの時代だが、70年代にはステレオの時代になっている。録音方法も、2チャンネルしかないので、歌と演奏と、そのバランスを見てお終いという感じだったものが、8チャンネルでステレオが普通、それ以上も登場しつつある。楽器もギター、ベースはもちろん、ドラム、ピアノ、オルガンに弦楽器等、すべてアコースティックだったが、70年代にはシンセサイザーのような電子楽器も登場している。
そして現在はデジタルの時代で、チャンネル数は実質無限だし、音の加工も修正も細かな調整もすべて出来る。60年代とは何もかもが違う。そういう現代の環境の中で出来上がる現代感覚のリミックスが聴いてみたい。

当時の録音はアナログ・テープへの録音で、それに重ねて録音していたり、そもそもすでにミックス前の音が残っていないものもあるので、すべてを完全にリミックスするのは無理だ。
しかしそれでも可能なことはたくさんあるので、是非ともそれに期待したい。

すでにリミックスされた『Sgt. Pepper』と『White Album』は素晴らしかった。オリジナルへのリスペクトが充分に感じられながら新しいものが出来た。新たな発見が沢山あってとても楽しいものになった。
これから全アルバムになっていくのか分からないが、是非やってほしいと思う。特に初期のものをやってもらいたい。どの程度遡れるのか、そもそも録音した時もたいしたトラック数は使っていないので、リミックスと言えるほどのものはないのかもしれないが、やる価値はあるだろう。
2009年のリマスターも初期のステレオのものは完全に左右に別れているのではなく、多少中央よりに寄せてあったので、これも一種のリミックスだが、もっと大々的にやってほしいと願うのだ。

昔のLP(全部は持っていないかったが)から、1987年のCD、2009年のリマスターと購入し、わずかな違いを楽しんだ。あとはリミックスを聴ければ安心して死ねるというものだ。

2018年11月20日火曜日

Mr.Big

自ら「大物」と名乗ってしまうこのバンド名が、実は70年代の英国バンド・Freeの楽曲からとられているのは有名な話し。実際、その曲のカヴァーもしている。

1988年にその「大物バンド」の結成のニュースが飛び込んで来た時は興奮した。何しろビリー・シーンとポール・ギルバートがいるというのだ。ちょっと不思議な取り合わせにも思えたが、ビリーは当代きっての凄腕ベーシスト。直前はデイヴ・リー・ロスのバンドでやや大人しめのプレイをしていたが、相手がポール・ギルバートとなると、そうもいかないだろう。何しろポールは、当時最強の早弾きテクニシャンのイングヴェイ・マルムスティーンを超えたのではとも噂される光速ギタリスト。最もホットな若手ギタリストといえるプレイヤーだからだ。
この2人が組むのだから、超テクニカルなプログレシヴィ・ロックでもやるのだろうか?という感じだった。
ちなみに、エリック・マーティンはまったく知らない無名のヴォーカルだし、パット・トーピーも調べれば「ああ、Impellitteriにいたドラマーね」という程度の知識だった。だからこそ、余計にギターとベースのバンドだと認識したものだ。

次のニュースは新曲「Addicted To That Rush」のビデオだった。
イントロからのベースとギターは予想通りのハイレベル・ユニゾン・プレイだったものの、ハスキーなヴォーカルを中心とした楽曲に意外に感じつつも好感を持った覚えがある。ちょうど時代はLAメタル、ヘア・メタルの時代からブルーズ・ロック回帰への流れで、それにもピタッとハマる骨太ロックという感じ。今でも1stアルバムは最高のブルーズ・ロック・アルバムだと思う。ブルーズがベースでありながら、派手なギターフレーズもところどころに散見され、太いベースが屋台を支えるバランスが最高だと思う。

更に2ndでは、前作を踏襲しつつも、ポップな「Green-Tinted Sixties Mind」や「Just Take My Heart」、そして何と言っても全米No.1を獲得した「To Be With You」と、ブルーズだけではなくBeatlesっぽいポップさも打ち出す。
この2ndも1stとは違った意味で最高傑作と言えるのではないかと思う。

3rdは少し落ち着いた感じがするが、個人的に「Promise Her The Moon」はMr.Bigでも最高の曲ではないかと思うほどの美しい曲。この1曲のおかげで1st、2ndに匹敵するアルバムだ。

だが、この初期の3枚で一区切りになってしまう。(個人的に)
96年の「Hey Man」も良い曲はあったが、なぜか初期のようにワクワク感がない。ライブを見たのも96年が最後だ。
この後、ポールが抜けてリッチー・コッツェンが入り、ある意味期待もしたが、ポールのポップさ分かりやすさが消えた分、いまいちになってしまう。(ポールのソロの方が楽しめた)
ポールが復帰した2010年の『What If…』、それ以降のライブ等も含めて、「さすが」と思わせる素晴らしいさはあるが、やはり初期のワクワク感はない。これは自分が年老いたせいかもしれない。

最後に、今年(2018年)、パット・トーピーが亡くなってしまった。パーキンソン病と闘っていたことを公表し、まともにプレー出来なくなってもバンドと共にあったが、ついに力尽きた。パットはバンドの名付け親でもあった。
ライブでのハイライトの一つだったドラム・ソロの「Yesterday」を覚えている。もちろんBeatlesのあの曲だ。ドラムのない落ち着いたあの曲をドラム・ソロにするという発想。内容は激烈な16ビートをメインにしたテクニカル・ドラムの中で、パットがあのメロディを歌うというもの。ドラム・ソロというと、ビート感がなくただ激烈に叩きまくっているものが多いが、パットのソロはちゃんと曲になっていて、ビート感もあり、しかし手数の多い激しさもあるものだった。そしてヴォーカル付き。声の良さもさることながら、ヴォーカルとドラムだけという原曲以上にシンプルな構成と、弦楽四重奏+ギターの曲を激しいドラムで表現するという面白さが相まったものだった。