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2019年2月15日金曜日

Janis Joplin

1943-1970

テキサス出身のブルーズ・シンガー。「ブルーズの女王」だ。
破天荒な生き方や雰囲気・イメージだが、実際には知的でシャイな人物だったという。ロック界に意外にこういうタイプの人物は多くて、無茶苦茶な部分だけイメージ先行で、実際はまったくそんなタイプではないというのが結構多い。

彼女の凄さの一つとして、まず声そのものが特徴的だ。ハスキー気味な声で倍音の多い太い声質だ。太くて強い声、弱々しく優しい声、艶のある声、様々使い分けられる。
そういえば彼女以降、「優れたシンガーの条件」とまでは言えないにしても、重要な要素の一つに「ハスキー」というのが加わったように思う。
それから、技術的にもレベルが高い。ブルーズ・シンガーならではの、ブルーノートの使い方など最高だ。

しかし、上記よりも私が圧倒的に凄いと思っているのは、「女性らしさ」というか「母性」だ。これは当然ながら男性シンガーには真似出来ない。特別美人というわけでもなく、肌などは薬物の影響か結構ボロボロだ。それでも深い愛のようなものを感じさせる。「いい女」というだけではなく、「母」なのだ。
特に「Piece Of My Heart」や「Cry Baby」のような曲では圧倒的な包容力で包み込むような優しさを感じさせるし、大きな肝っ玉母さんのようだ。「泣いてもいいんだ、泣きなさい」みたいなことを言われると男は結構弱い。
その他では、「Summertime」のような繊細さもまた別の女性っぽさを感じさせるし、「Half Moon」のような頑張りや健気さを感じさせるものもある。
そこにはとても魅力的な女性の姿がある。

ところがそんな素晴らしい女性が、孤独の中で27歳で亡くなってしまう。死因はヘロインの過剰摂取ということになっていたが、その前に疎外感・孤独感に包まれていたという状況があり、だからこそ慰めるためにヘロインを使用し、使用法を間違えてしまったということだ。とても残念だ。直前の同窓会での寂しそうな写真を見たことがある。

それで思い出したが、1979年の映画で『Rose』だ。ジャニスをモデルにした映画で、ベット・ミドラーが主演したものだ。あくまでモデルにした架空の物語だが、主人公・ローズが酒とドラッグに溺れながら歌い続ける雰囲気はモロにジャニスだ。ジャニスを知っている者には涙を誘う。ミドラーの歌唱もパワフルで素晴らしいので、機会があったら是非見てみてほしい。

2018年12月19日水曜日

Jimi Hendrix

1942-1970

ロック界最高峰のギタリストの一人だ。亡くなって随分時が経ったので知らない人も多いかもしれないが、ギターを志す者なら触れておいて絶対に損はない。あえて1曲だけというならやはり「Little Wing」になろうが、彼のギターから学ぶものは非常に多い。

Beatlesもそうだが、次の時代の標準・常識になってしまったものは、後代からすると当時のインパクトがなかなか分かりにくい。「どうしてそんなに評価されてるの?別に普通じゃん」みたいな感想になるのは、その「普通じゃん」というセリフ自体が既にブッ飛んでいることに気がつかない。私でもあなたでも、世界で常識と呼べる新しいものを作り出すなど、ほぼ不可能。普通と思うことを作り出したから凄いということだ。

ジミが何を作り出したか?
それは時代背景と密接に関係している。その少し前、少し後を見ればすぐに分かる。
例えば60年代中期の王者・BeatlesやStonesの音作りと、70年代中期の王者・ZeppelinやPurple、Sabbathといったバンドの音作り。特に決定的に違うのはギターだ。60年代のギターの使い方のメインはリズム・ギターでコード弾きがメイン。アコースティック・ギターの延長上にある発想だ。70年代になると、1音や2音でのリフやベースと同様のルート弾き、全音符で伸ばす、1度5度奏法等。60年代の発想ではかなり薄っぺらく存在感のないギターになりそうなものだが、70年代はそうはならない。
一番違うのはギター・アンプの性能だ。大音量で歪んだ存在感のある音で弾く。これが一番違う。

このアンプの発展の恩恵を得た最初の一人がジミというわけだ。
同時代で少し先輩格(年齢はジミが3つ上)のエリック・クラプトンとも比較されがちだ。クラプトンも大音量で弾ける最初期のギタリストだが、「歌うように弾く」と形容された。つまり特徴的なチョーキングやビブラートを形容しているのだが、これもアンプの性能向上の賜物だ。
そしてジミになるとクラプトン以上にギターを歌わせる。というか、クラプトンがギターを歌わせるのは、主にソロでのビブラートによるものだが、ジミの場合は歌わせるだけでなく、唸りを上げさせ悲鳴を上げさせ、炎を上げさせる(これは奏法ではなくパフォーマンスだが)。とにかく何でもありなのだ。こうなると当時は品がないと批判もされたし、性的すぎるという批判もあった。そのあたりがクラプトンとの違いになってくる。
伝説ともなっているウッドストックでの「Star Spangled Banner」の演奏。メロディの合間にベトナム戦争を想起させる爆撃や爆発の音をギターで表現しているのも、歌わせる以上のプレイの好例だ。
これは主にアーミングによるものだが、他にもハンド・ビブラートやワウのプレイなど、かなり多彩だ。

そして「Little Wing」だ。この曲ではバッキングでも歌っている。これは凄い。「ギターで歌えるクラプトン」にもないものだ。
コード弾き+オブリガードというのでもなく、両者が混ざっている状態。こんなプレイをやるのは誰もいなかったし、その後も意識してジミの真似をする以外はあまり多くはない。それほど独特のプレイだ。コードを追いつつ、崩しつつ、ちょっとしたフレーウを入れつつ、しかもヴォーカルもとる。天才だ!

そんなジミの早すぎる死。結構謎めいているが、しかし、この時に死ななくてもこの時代のドラッグが蔓延している中から生還するのは厳しかったかもしれない。
もし生き延びていたらどんなプレイを聴かせてくれていただろう?ジャズにいったのでは?とか、ベックのようにフュージョン寄りになったはずと色々な説があるが、今となっては謎のまま。もう数年でもいいから色々聴かせてほしかったと今さらながら失ったものの大きさを想う・・・。

2018年11月29日木曜日

John Lennon

1940-1980

今年もまたこの季節がやって来る。毎年12月8日前後になると思い出す。偉大なミュージシャンの死にこれほど衝撃的だったことはない。暗殺だ。
政治家でもマフィアでもない、ただのミュージシャンを暗殺するなど、あり得るだろうか。それが現実になった。本当に信じられない。

ジョンは、もちろんBeatlesの主要メンバーの一人で、ほぼ創設者兼リーダー(少なくとも初期は)だ。ジョンに憧れ影響を受けた人は世界中に数限りなくおり、私もその一人。
皮肉なことに、私とジョンの出会いはこの暗殺事件のニュースだ。小学生だった当時、私はBeatlesは名前くらいしか知らず、「外国の歌手」という認識で、その一人が殺されて衝撃的だったという周囲の反応を覚えているくらい。それと、その頃のニュースでよくかかっていたのが、なぜか「Yesterday」と「Let It Be」が多かったということ。どちらもポールの曲だが、物悲しい雰囲気と暗示的な内容が何となく事件とマッチすると判断されたのだろう。
この事件をキッカケに私はBeatlesに詳しくなっていく。

さて、言うまでもなくジョンは偉大なミュージシャンで多大な影響力を持っていたが、ジョンの偉大さとBeatlesの偉大さは必ずしも一致しないと思う。
Beatlesは社会現象で、ポピュラー・ミュージック界を変え、ロックのスタイル(演奏スタイルから作詞作曲、録音方法まで)を変え、というような、もちろんとんでもない影響力を与えたバンドなのだが、ジョンの場合はその生き方そのものにメッセージ性や考えさせるもの、影響力がある。この部分ではBeatlesの他のメンバーよりもジョンは圧倒的だといえる。

Beatlesの中期頃までは、皮肉家だったり、攻撃的だったり、ジョークがちょっとキツかったりはするものの、他のメンバーとあまり変わらなかった。しかしオノ・ヨーコと出会い、「All You Need Is Love」を歌うあたりから急速に変わっていく。それはヨーコが変えたというのではなく、もともとそういう部分があったところに、ヨーコが触媒のような働きをしたということだと私は理解している。ヨーコと出会う前から、ジョンの詞は内面をえぐるようなものが多かったし、結構赤裸裸で、傷つきやすさのようなものがあった。勢いがありカッコいいロック・ソングの「Help!」だって、曲調からは考えられないような詞だ。そもそもロックにハマったのも、「ロックはリアルで他のものはアン・リアルに見えた」ということだったので、最初から本当の自分、本当の姿、本当の姿勢やアテテュードといったものを求めていたのが分かる。

ヨーコと出会ってからは、バンドよりもより自己探求のような姿勢になり、また一方で反戦運動をしたり政治的なメッセージを語ったりするようになる。Beatlesは人気者(=アイドル)だったので、万人受けを狙い政治的な発言を慎むようにしていたが、「発言できないのならグループを去る」とまで言うようになる。
様々な反戦運動を行う中で、多くのファンを失い、敵対者すら現われ、アメリカ政府からも疎まれるようになる。一時はアメリカから国外退去になったりもし、ヨーコとも別居したりもするが、1975年に再びヨーコとくっつく。10月7日、4年に渡るアメリカ永住権を巡る裁判に勝訴。国外追放命令の破棄を勝ち取る。その連絡を受けたジョンは歓喜し、翌日臨月で入院中のヨーコに報告に行く。その日の深夜、待ち望んだ二人の間の子(ショーン)が生まれる。永住権と我が子がほぼ同時に手に入れたことになる。しかもその時に最初に交わした時のヨーコさんのセリフが凄い。「今は何時?」と聞いて12時を過ぎていることを知ると、「Happy Birthday, John」という。10月9日はジョンの誕生日だ。何てドラマチックなんだ。そしてすべてを得たジョンはショーン君を育てるために専業主夫となり、すべての音楽活動を停止するという、これまた驚きの行動に出る。
そして1980年、5歳になったショーン君に「パパはBeatlesだったの?」と聞かれたことをキッカケに音楽活動を再開し、5年ぶりにのアルバムをリリースした矢先、暗殺される・・・。波乱万丈では済まされないような激しい人生。

私はジョンから優しさとか挑戦する勇気とか正直さとか、様々なものを学んだが、最も重要なことは等身大の自分を見つめることではないかと思う。奢らず飾らず、しかしへりくだりすぎず、自分を卑下することもない。自分をよく見つめ、その自分に素直でいることが大事なのではないかと思って生きている。素直でシンプルというのは一番の強さではないかと思う。この辺りを突き詰めていくと、結局「Imagine」の世界観になっていくようで不思議だ。
人に接する時も、恐れず、相手を過大評価せず、見下さず、過小評価もしない。つまり等身大の相手を見ることが出来るようになりたいと思う。そして等身大の自分を出せるようになりたいと思う。