2018年12月19日水曜日

Jimi Hendrix

1942-1970

ロック界最高峰のギタリストの一人だ。亡くなって随分時が経ったので知らない人も多いかもしれないが、ギターを志す者なら触れておいて絶対に損はない。あえて1曲だけというならやはり「Little Wing」になろうが、彼のギターから学ぶものは非常に多い。

Beatlesもそうだが、次の時代の標準・常識になってしまったものは、後代からすると当時のインパクトがなかなか分かりにくい。「どうしてそんなに評価されてるの?別に普通じゃん」みたいな感想になるのは、その「普通じゃん」というセリフ自体が既にブッ飛んでいることに気がつかない。私でもあなたでも、世界で常識と呼べる新しいものを作り出すなど、ほぼ不可能。普通と思うことを作り出したから凄いということだ。

ジミが何を作り出したか?
それは時代背景と密接に関係している。その少し前、少し後を見ればすぐに分かる。
例えば60年代中期の王者・BeatlesやStonesの音作りと、70年代中期の王者・ZeppelinやPurple、Sabbathといったバンドの音作り。特に決定的に違うのはギターだ。60年代のギターの使い方のメインはリズム・ギターでコード弾きがメイン。アコースティック・ギターの延長上にある発想だ。70年代になると、1音や2音でのリフやベースと同様のルート弾き、全音符で伸ばす、1度5度奏法等。60年代の発想ではかなり薄っぺらく存在感のないギターになりそうなものだが、70年代はそうはならない。
一番違うのはギター・アンプの性能だ。大音量で歪んだ存在感のある音で弾く。これが一番違う。

このアンプの発展の恩恵を得た最初の一人がジミというわけだ。
同時代で少し先輩格(年齢はジミが3つ上)のエリック・クラプトンとも比較されがちだ。クラプトンも大音量で弾ける最初期のギタリストだが、「歌うように弾く」と形容された。つまり特徴的なチョーキングやビブラートを形容しているのだが、これもアンプの性能向上の賜物だ。
そしてジミになるとクラプトン以上にギターを歌わせる。というか、クラプトンがギターを歌わせるのは、主にソロでのビブラートによるものだが、ジミの場合は歌わせるだけでなく、唸りを上げさせ悲鳴を上げさせ、炎を上げさせる(これは奏法ではなくパフォーマンスだが)。とにかく何でもありなのだ。こうなると当時は品がないと批判もされたし、性的すぎるという批判もあった。そのあたりがクラプトンとの違いになってくる。
伝説ともなっているウッドストックでの「Star Spangled Banner」の演奏。メロディの合間にベトナム戦争を想起させる爆撃や爆発の音をギターで表現しているのも、歌わせる以上のプレイの好例だ。
これは主にアーミングによるものだが、他にもハンド・ビブラートやワウのプレイなど、かなり多彩だ。

そして「Little Wing」だ。この曲ではバッキングでも歌っている。これは凄い。「ギターで歌えるクラプトン」にもないものだ。
コード弾き+オブリガードというのでもなく、両者が混ざっている状態。こんなプレイをやるのは誰もいなかったし、その後も意識してジミの真似をする以外はあまり多くはない。それほど独特のプレイだ。コードを追いつつ、崩しつつ、ちょっとしたフレーウを入れつつ、しかもヴォーカルもとる。天才だ!

そんなジミの早すぎる死。結構謎めいているが、しかし、この時に死ななくてもこの時代のドラッグが蔓延している中から生還するのは厳しかったかもしれない。
もし生き延びていたらどんなプレイを聴かせてくれていただろう?ジャズにいったのでは?とか、ベックのようにフュージョン寄りになったはずと色々な説があるが、今となっては謎のまま。もう数年でもいいから色々聴かせてほしかったと今さらながら失ったものの大きさを想う・・・。

2018年12月14日金曜日

カボチャ軍団・Helloween

友達の影響で初期の頃から聴いている。最初は早いテンポとアホみたいにヒステリックな高音ボーカルに「バカじゃね?」という感じだったが、怖いものみたさで聴いているうちにすっかりハマってしまった。
今聴けば、それほど強烈・過激な感じでもないし、無茶苦茶なボーカルに聴こえたものだが、かなりメロディックでポップだ。そしてそれこそがHelloweenの魅力だ。早くて激烈なメタルの雰囲気だが、ポップで分かりやすいボーカル。ギターも過激な雰囲気を漂わせながら、実際はかなり分かりやすく、ツイン・ギターは劇的でもある。

初めてHelloweenを知ったのは1986年。「Ride The Sky」を筆頭に、「Starlight」「Gurdians」「Judas」等、お気に入り曲はいくつもあった。海賊版のライブ・ビデオも手に入れカイ・ハンセンのカリスマ性に魅かれもした。ギター初心者だったが、早い16分音符のピッキング練習をたくさんした。

87年には新メンバーのマイケル・キスクを入れて今や伝説の『Keeper of The Seven Keys Part 1』をリリース。初めて聴いた時は「ソフトになったし、ボーカルはカイの方が良いなぁ」といった感じだった。キスクは高音も楽々出すが、カイはキツそうな分、ヒステリックというか狂気じみた感じに聴こえ、それも魅力だったからだ。曲はより分かりやすくなり、それがソフトになったと印象づける原因だった。
しかし、聴けば聴くほど気に入り、結局はHelloweenのベスト・アルバムだと今でも思っている。気に入った最初の要因は、ギターだ。前作までより断然分離が良くなったので、ツイン・ハーモニーのソロをコピーするのが容易になった。特に分かりやすい「I'm Alive」や「Halloween」はコピーしてCDに合わせて弾いたものだ。(当時のコピーは間違っていたが)
現在は全曲気に入っているが、当時は上記2曲と、「Twilight Of The Gods」「A Tale That Wasn't Right」がお気に入りだった。意外にも(?)「Future World」はそれほど好きではなかった。

続く88年の『Part 2』もなかなかで、好き度はやや『Part 1』が上だが、甲乙つけがたく素晴らしい出来だった。当時にお気に入りだった曲は「Keeper of the Seven Keys」「March of Time」「We Got the Right」「Rise and Fall」といったところ。「Eagle Fly Free」や「I Want Out」は「まあまあだな」という程度だった。私は変わり者かもしれない。
もちろん現在は、このアルバム曲も全部好きだ。

ところが、この後の『Pink Bubbles Go Ape』がいけない。Helloweenの要と思っていた、実質リーダーのはずのカイ・ハンセンが脱退してしまい、その上、初期に契約していたNOISEレコードとモメて発売が伸び伸びになってしまい、しばらく音信不通になってしまったからだ。発売されたのは91年になってからだ。
このアルバムにも良い曲が沢山あるが、いったん冷めてしまった熱は戻らなかったし、雰囲気が変わってしまったのも事実だろう。カイがいなくなったことだけでなく、バンド内のバランスにも色々変化があったようだ。
この次の『Chameleon』は更に「困ったちゃん」アルバムだ。良い曲もあるのだが、Helloweenに期待しているものと違いすぎるからだ。キスクのソロだったら気に入っただろうし、現にキスクの1stソロなど相当好きな1枚だ。

Helloweenからキスクが脱退し、もはや復活は無理と諦めていた頃、アンディ・デリスを迎えて『Master of the Rings』がリリースされた。アルバム名が何となく『Keeper』と似ていることから、ダメ元で聴いてみた。
「Helloweenが戻ってきた!」キスクとは違うが、まさにHelloweenだ! 正直、嬉しかった。
一番好きなのは「Why?」だが、「Where The Rain Grows」「In The Middle Of A Heartbeat」あたりも好きだし、その他もどれも良い出来だ。新加入のアンディの作る曲がほどよくポップでHelloweenにピッタリだ。前バンドのPink Cream 69も聴いてみたが、今いちだった。Helloweenの方が彼にあっているのだろう。

こうしてHelloweenはアンディをバンドの顔として再出発をする。あれから四半世紀。現在はカイとキスクを戻して夢のラインナップで『Pumpkin United』のツアーをしているし、ライブ・アルバムもリリースする予定らしい。是非とも買いたいと思う。アルバムも1枚は出してほしいし、このランナップを長く続けてほしいと期待している。無理かもしれないけど。。。

2018年12月6日木曜日

Bernie Marsden

Whitesnakeのバンド結成時に加入したバーニー・マースデン。すでにデイヴィッドの2枚のソロ・アルバムからミッキー・ムーディがギタリストとしてデイヴィッドの補佐役となっていたが、デイヴィッドが(Deep Purpleとの差別化の意味もあり)ツイン・ギターのバンドを想定していたし、ミッキーも自分が一人で看板ギタリストを背負うのは自信がなかったらしく、あっさりとバーニー・マースデンを加えることになっている。
バーニーのギタリストとしての腕はもちろんだが、それ以上に作曲能力や歌が上手いことも参加の決め手となっている。つまりデイヴィッドは作曲の相棒として見ていたことになる。これは後のメル・ギャレー、ジョン・サイクス、エイドリアン・ヴァンデンバーグ等と同じ立場だ。デイヴィッドは作曲パートナーの存在を重要視しているので、加入時からバーニーは特別な存在であったことが分かる。

バーニーは加入後、早速作曲で能力を見せつけ、短時間で「Come On」を作って見せる。それ以降のWhitesnakeの曲作りはディヴィッドとバーニーが核となり、たまにミッキーという図式になる。
本当は、当初はバーニーだけがパートナーではなく、曲を書ける人は書くスタイルだったようだが、ミッキーは多作な方ではなく、大物ミュージシャンのジョン・ロードやイアン・ペイスも作曲能力はたいしたことがないので、デイヴィッドとバーニー中心にならざるを得ない状態で、何よりそれがデイヴィッドのスタイルとして楽なやり方となっていく。それはDeep Purpleでリッチー・ブラックモアが何かギターのアイディアを示し、それに適当なメロディをつけて歌いながら曲の骨子を固めていくというやり方と同じで、それがデイヴィッドの曲作りのスタイルとなることになっていく。
このスタイルのおかげで悩まなくてはいけなくなるのがヴィヴィアン・キャンベルだったりレブ・ビーチだったりするのだが、それはまた別の機会に。

デイヴィッドとバーニーの相性は良く、次々に名曲を生み出し、ヒット曲も出した。「Fool For Your Loving」だ。
バンドは短いサイクルで激烈に活動し、早いテンポでアルバムを出し、ライブ・ツアーに明け暮れ、やがて疲弊していく。バンドが悪いマネジメント契約に縛られ、働いても働いても金が回って来ない状況にもウンザリしている状態。ミッキーによると、「売れていて、ライブでも人が満杯になるのに、いつもバンドは借金をかかえている」と言われていたそうだ。
バーニがクビになる原因は、恐らく明るい性格のバーニーが悪ノリしすぎていて、バンドの契約問題でピリピリしていたデイヴィッドの怒りを買ったからだろう。バンドに緊張感がなく、停滞気味になっている一番の元凶は能天気な雰囲気のバーニーだということになったのだと思う。バンドの士気も下がりに下がって、結局1981年いっぱいで、マネジメント契約から脱するためにもバンドは活動停止状態となる。
その一方で、デイヴィッドとバーニーはバンドがダメになっても作曲パートナーは存続させようと語り合ったそうだ(バーニー談)。ということは、デイヴィッドはバーニーの作曲能力や相性の良さを自覚していたということと、Whitesnakeがここで消え失せるのも覚悟していたのだということが分かる。

1982年夏にバンドが再開した時、そこにバーニーの名前はなかった。デイヴィッドの長年の念願だったメル・ギャレーの参加が決まったからだ。簡単に言えばデイヴィッドの裏切りだ。ここでバーニーのWhitesnakeとしての歴史は終わる。

だが、バーニーの遺した遺産はバンドにもデイヴィッド個人にも多大なものがあった。半年もすると早くもデイヴィッドは懐かしく思い、メルに「バーニーはこうやっていた」とか「バーニーはこんな風に弾いていた」と言うようになり、気を悪くしたメルが「それならバーニーを戻したらどうだ」と言い返したという。
楽観的でさっぱりした性格のバーニーは、1983年にWhitesnakeを見に行き、そこで裏切り者・デイヴィッドとも声をかわしている。だからバーニーとデイヴィッドの仲は悪くない。

デイヴィッドは敵を作りやすいタイプの人間で、侮辱して去らせたミッキー・ムーディ、陰湿に別れることになったコージー・パウエル、大ゲンカしたジョン・サイクス、見下したように去っていったヴィヴィアン・キャンベル等、最悪の関係になってしまった人も少なくないが、バーニーとは友好的な別れであった。それはひとえにバーニー側の性質によるところが大きい。
デイヴィッドが人を切る際、突然連絡を断ち、金も支払わず、それっきり、というパターンがほとんどだ。問題のあるやり方だが、それをまともに乗り越えたのはバーニーだけではないかと思う。バーニーは最近でも何度かWhitesnakeのライブに飛び入り参加している。

そして忘れてはならないのは、Whitesnakeが大ブレイクしたのもバーニーの功績が大きいということだ。『Serpens Albus』の「Here I Go Again」と『Slip of The Tongue』の「Fool For Your Loving」はバーニーの曲だ。(「Crying In The Rain」もバーニー時代の曲)
特に「Here I Go Again」は1位になっているし貢献度は大きい。Whitesnakeの大ブレイクはバーニーの曲とタウニー・キタエン(ビデオ・クリップで目立ちまくった)、そして時代に乗ったヘア・メタルのインパクトが3大要因ともいえる。もちろんWhitesnakeはデイヴィッドのバンドなので、本人の頑張りが一番大きいし、ジョン・サイクスの貢献度も大きいに決まっているが、それは売れたアルバムなら当然のことだ。それが基本的にある上で、バーニーとタウニーとヘア・メタルの雰囲気が大きかったという話しだ。

思うに、バーニーだけはWhitesnakeの数多くの元メンバーたちの中でも一番の重要人物といえるのではないかと思う。
ミッキーも重要で、デイヴィッドにとっての最初の相棒だが、曲作りでの貢献はアップテンポのロック・ソングのみ(デイヴィッドの初期の2枚のソロを聴けば瞭然)だし、ギタリストとしても弱い。弾きまくるハードロッカーとして、そして作曲家、またヴォーカリストとしてもWhitesnake始動の最大の推進力だったといえると思う。2枚のソロよりもWhitesnakeの最初のEPや1stアルバムの方が魅力的なのを見ても明らかだ。何といってもハードロック・テイストが加わっている。
また「Free Flight」ではバーニーがリード・ヴォーカルだし、「Lie Down」にもソロのパートがあるように、Deep Purpleでのヂヴィッドとグレン・ヒューズのようなツイン・ヴォーカルの再現を目論んだ形跡もある。このあたりからもバーニーの存在感の大きさが分かる。

バーニーはハッピーな性格で、時折イタズラな感じも漂わせつつ、いつも楽しそうにニコやかな表情を浮かべている(ステージではデイヴィッドがやや強面を狙うような感じでやっていたのとは対照的)。解雇の時も恨みつらみを引きずらないし、かなりのナイス・ガイだと思う。ちょっと太めなのが玉に傷といったところ。

2018年11月29日木曜日

John Lennon

1940-1980

今年もまたこの季節がやって来る。毎年12月8日前後になると思い出す。偉大なミュージシャンの死にこれほど衝撃的だったことはない。暗殺だ。
政治家でもマフィアでもない、ただのミュージシャンを暗殺するなど、あり得るだろうか。それが現実になった。本当に信じられない。

ジョンは、もちろんBeatlesの主要メンバーの一人で、ほぼ創設者兼リーダー(少なくとも初期は)だ。ジョンに憧れ影響を受けた人は世界中に数限りなくおり、私もその一人。
皮肉なことに、私とジョンの出会いはこの暗殺事件のニュースだ。小学生だった当時、私はBeatlesは名前くらいしか知らず、「外国の歌手」という認識で、その一人が殺されて衝撃的だったという周囲の反応を覚えているくらい。それと、その頃のニュースでよくかかっていたのが、なぜか「Yesterday」と「Let It Be」が多かったということ。どちらもポールの曲だが、物悲しい雰囲気と暗示的な内容が何となく事件とマッチすると判断されたのだろう。
この事件をキッカケに私はBeatlesに詳しくなっていく。

さて、言うまでもなくジョンは偉大なミュージシャンで多大な影響力を持っていたが、ジョンの偉大さとBeatlesの偉大さは必ずしも一致しないと思う。
Beatlesは社会現象で、ポピュラー・ミュージック界を変え、ロックのスタイル(演奏スタイルから作詞作曲、録音方法まで)を変え、というような、もちろんとんでもない影響力を与えたバンドなのだが、ジョンの場合はその生き方そのものにメッセージ性や考えさせるもの、影響力がある。この部分ではBeatlesの他のメンバーよりもジョンは圧倒的だといえる。

Beatlesの中期頃までは、皮肉家だったり、攻撃的だったり、ジョークがちょっとキツかったりはするものの、他のメンバーとあまり変わらなかった。しかしオノ・ヨーコと出会い、「All You Need Is Love」を歌うあたりから急速に変わっていく。それはヨーコが変えたというのではなく、もともとそういう部分があったところに、ヨーコが触媒のような働きをしたということだと私は理解している。ヨーコと出会う前から、ジョンの詞は内面をえぐるようなものが多かったし、結構赤裸裸で、傷つきやすさのようなものがあった。勢いがありカッコいいロック・ソングの「Help!」だって、曲調からは考えられないような詞だ。そもそもロックにハマったのも、「ロックはリアルで他のものはアン・リアルに見えた」ということだったので、最初から本当の自分、本当の姿、本当の姿勢やアテテュードといったものを求めていたのが分かる。

ヨーコと出会ってからは、バンドよりもより自己探求のような姿勢になり、また一方で反戦運動をしたり政治的なメッセージを語ったりするようになる。Beatlesは人気者(=アイドル)だったので、万人受けを狙い政治的な発言を慎むようにしていたが、「発言できないのならグループを去る」とまで言うようになる。
様々な反戦運動を行う中で、多くのファンを失い、敵対者すら現われ、アメリカ政府からも疎まれるようになる。一時はアメリカから国外退去になったりもし、ヨーコとも別居したりもするが、1975年に再びヨーコとくっつく。10月7日、4年に渡るアメリカ永住権を巡る裁判に勝訴。国外追放命令の破棄を勝ち取る。その連絡を受けたジョンは歓喜し、翌日臨月で入院中のヨーコに報告に行く。その日の深夜、待ち望んだ二人の間の子(ショーン)が生まれる。永住権と我が子がほぼ同時に手に入れたことになる。しかもその時に最初に交わした時のヨーコさんのセリフが凄い。「今は何時?」と聞いて12時を過ぎていることを知ると、「Happy Birthday, John」という。10月9日はジョンの誕生日だ。何てドラマチックなんだ。そしてすべてを得たジョンはショーン君を育てるために専業主夫となり、すべての音楽活動を停止するという、これまた驚きの行動に出る。
そして1980年、5歳になったショーン君に「パパはBeatlesだったの?」と聞かれたことをキッカケに音楽活動を再開し、5年ぶりにのアルバムをリリースした矢先、暗殺される・・・。波乱万丈では済まされないような激しい人生。

私はジョンから優しさとか挑戦する勇気とか正直さとか、様々なものを学んだが、最も重要なことは等身大の自分を見つめることではないかと思う。奢らず飾らず、しかしへりくだりすぎず、自分を卑下することもない。自分をよく見つめ、その自分に素直でいることが大事なのではないかと思って生きている。素直でシンプルというのは一番の強さではないかと思う。この辺りを突き詰めていくと、結局「Imagine」の世界観になっていくようで不思議だ。
人に接する時も、恐れず、相手を過大評価せず、見下さず、過小評価もしない。つまり等身大の相手を見ることが出来るようになりたいと思う。そして等身大の自分を出せるようになりたいと思う。

2018年11月22日木曜日

Beatlesのリミックス

Beatlesのリミックスを望んでいる。「Beatles原理主義」とでも言うような「絶対オリジナル主義」のファンも結構いるようだが、個人的にはリミックスに大賛成だ。
もちろん、私もリアル・タイム世代ではないから、後追いとして当時の音をそのまま聴きたいと思う気持ちは強いし、『Love』のような企画はたまには良いが、頻繁だと神話を冒涜されているようであまり良い気持ちはしないし、どうしても60年代を神聖視してしまうような部分もある。

すでに最後のオリジナル・アルバムがリリースされてから48年。ほぼ半世紀になる。2009年のリマスターでオリジナルに忠実にという作業は完了したと考えて良いのではないか。これからも技術革新があり最新技術で昔の音が良くなることはあるだろうが、すでにいい線をいっていると思う。

それよりも、そんな最近技術を駆使しながら、60年代のスタイルであるモノやリズム・トラックが全部片方のチャンネルから聴こえるようなステレオ・ミックスを聴くというのは何とも滑稽ではないかと思う。
現代の感覚を持った最新鋭のリミックスを聴いてみたいと思う。それは一種のBeatlesの新譜に近い感覚だ。

ただ、Beatlesを深くリスペクトしてくれる人たちに作業をしてもらいたい。『Love』のようにBeatlesで遊ぶのではなく、あくまでBeatlesの新しい楽典というか、バイブルというか、次の時代にも通じるような時代を超越するリミックスであってほしい。
それは60年代がまだ技術の発達があまりにも未熟だったからだ。2005年と2015年の曲を聴いても、多少の流行り廃りはあるものの時代の違いは決定的には分からない。1960年と1970年だと劇的に違う。60年は普通はモノラルの時代だが、70年代にはステレオの時代になっている。録音方法も、2チャンネルしかないので、歌と演奏と、そのバランスを見てお終いという感じだったものが、8チャンネルでステレオが普通、それ以上も登場しつつある。楽器もギター、ベースはもちろん、ドラム、ピアノ、オルガンに弦楽器等、すべてアコースティックだったが、70年代にはシンセサイザーのような電子楽器も登場している。
そして現在はデジタルの時代で、チャンネル数は実質無限だし、音の加工も修正も細かな調整もすべて出来る。60年代とは何もかもが違う。そういう現代の環境の中で出来上がる現代感覚のリミックスが聴いてみたい。

当時の録音はアナログ・テープへの録音で、それに重ねて録音していたり、そもそもすでにミックス前の音が残っていないものもあるので、すべてを完全にリミックスするのは無理だ。
しかしそれでも可能なことはたくさんあるので、是非ともそれに期待したい。

すでにリミックスされた『Sgt. Pepper』と『White Album』は素晴らしかった。オリジナルへのリスペクトが充分に感じられながら新しいものが出来た。新たな発見が沢山あってとても楽しいものになった。
これから全アルバムになっていくのか分からないが、是非やってほしいと思う。特に初期のものをやってもらいたい。どの程度遡れるのか、そもそも録音した時もたいしたトラック数は使っていないので、リミックスと言えるほどのものはないのかもしれないが、やる価値はあるだろう。
2009年のリマスターも初期のステレオのものは完全に左右に別れているのではなく、多少中央よりに寄せてあったので、これも一種のリミックスだが、もっと大々的にやってほしいと願うのだ。

昔のLP(全部は持っていないかったが)から、1987年のCD、2009年のリマスターと購入し、わずかな違いを楽しんだ。あとはリミックスを聴ければ安心して死ねるというものだ。

2018年11月20日火曜日

Mr.Big

自ら「大物」と名乗ってしまうこのバンド名が、実は70年代の英国バンド・Freeの楽曲からとられているのは有名な話し。実際、その曲のカヴァーもしている。

1988年にその「大物バンド」の結成のニュースが飛び込んで来た時は興奮した。何しろビリー・シーンとポール・ギルバートがいるというのだ。ちょっと不思議な取り合わせにも思えたが、ビリーは当代きっての凄腕ベーシスト。直前はデイヴ・リー・ロスのバンドでやや大人しめのプレイをしていたが、相手がポール・ギルバートとなると、そうもいかないだろう。何しろポールは、当時最強の早弾きテクニシャンのイングヴェイ・マルムスティーンを超えたのではとも噂される光速ギタリスト。最もホットな若手ギタリストといえるプレイヤーだからだ。
この2人が組むのだから、超テクニカルなプログレシヴィ・ロックでもやるのだろうか?という感じだった。
ちなみに、エリック・マーティンはまったく知らない無名のヴォーカルだし、パット・トーピーも調べれば「ああ、Impellitteriにいたドラマーね」という程度の知識だった。だからこそ、余計にギターとベースのバンドだと認識したものだ。

次のニュースは新曲「Addicted To That Rush」のビデオだった。
イントロからのベースとギターは予想通りのハイレベル・ユニゾン・プレイだったものの、ハスキーなヴォーカルを中心とした楽曲に意外に感じつつも好感を持った覚えがある。ちょうど時代はLAメタル、ヘア・メタルの時代からブルーズ・ロック回帰への流れで、それにもピタッとハマる骨太ロックという感じ。今でも1stアルバムは最高のブルーズ・ロック・アルバムだと思う。ブルーズがベースでありながら、派手なギターフレーズもところどころに散見され、太いベースが屋台を支えるバランスが最高だと思う。

更に2ndでは、前作を踏襲しつつも、ポップな「Green-Tinted Sixties Mind」や「Just Take My Heart」、そして何と言っても全米No.1を獲得した「To Be With You」と、ブルーズだけではなくBeatlesっぽいポップさも打ち出す。
この2ndも1stとは違った意味で最高傑作と言えるのではないかと思う。

3rdは少し落ち着いた感じがするが、個人的に「Promise Her The Moon」はMr.Bigでも最高の曲ではないかと思うほどの美しい曲。この1曲のおかげで1st、2ndに匹敵するアルバムだ。

だが、この初期の3枚で一区切りになってしまう。(個人的に)
96年の「Hey Man」も良い曲はあったが、なぜか初期のようにワクワク感がない。ライブを見たのも96年が最後だ。
この後、ポールが抜けてリッチー・コッツェンが入り、ある意味期待もしたが、ポールのポップさ分かりやすさが消えた分、いまいちになってしまう。(ポールのソロの方が楽しめた)
ポールが復帰した2010年の『What If…』、それ以降のライブ等も含めて、「さすが」と思わせる素晴らしいさはあるが、やはり初期のワクワク感はない。これは自分が年老いたせいかもしれない。

最後に、今年(2018年)、パット・トーピーが亡くなってしまった。パーキンソン病と闘っていたことを公表し、まともにプレー出来なくなってもバンドと共にあったが、ついに力尽きた。パットはバンドの名付け親でもあった。
ライブでのハイライトの一つだったドラム・ソロの「Yesterday」を覚えている。もちろんBeatlesのあの曲だ。ドラムのない落ち着いたあの曲をドラム・ソロにするという発想。内容は激烈な16ビートをメインにしたテクニカル・ドラムの中で、パットがあのメロディを歌うというもの。ドラム・ソロというと、ビート感がなくただ激烈に叩きまくっているものが多いが、パットのソロはちゃんと曲になっていて、ビート感もあり、しかし手数の多い激しさもあるものだった。そしてヴォーカル付き。声の良さもさることながら、ヴォーカルとドラムだけという原曲以上にシンプルな構成と、弦楽四重奏+ギターの曲を激しいドラムで表現するという面白さが相まったものだった。

2018年11月14日水曜日

Whitesnake 始動!

デイヴィッドがDeep Purpleを脱退(バンドはそのまま解散)したのは1976年。ソロ活動を経て、Whitesnakeが結成に動き出したのは77年後半。本格的に始動したのは78年だ。

だが、デイヴィッドのソロ第1弾のタイトルが『Whitesnake』である事からも分かるように、当初からワーキング・タイトルは「Whitesnake」であった。
ミッキー・ムーディーの他、18歳のサイモン・フィリップスやプロデューサーでもあったロジャー・グローバーも参加した1stソロのレコーディングをし、そのままのメンバーでライブ活動をしようとしたことからも、本当はこれがWhitesnakeになるはずだった。
しかし、実際は他のメンバーは予定がつまっており、ライブ活動は出来ないまま終わっている。

デイヴィッドはライブ活動こそが重要でステージに立ちたいと願っていたが、76年3月にDeep Purpleとしてリバプールで最後のステージに立って以来途絶えていた。だからソロをリリースしてすぐにライブ活動に入りたかったが、バンド活動するだけの資金がなかった。デイヴィッドは金のない実力派シンガーという存在だったので、活動に行き詰まるたびにどこかのバンドへ加入するのではという噂が流れ、この時もBlack Sabbathへの加入が噂された。

さて、77年5月にようやく1stソロがリリースされ、それに先立ち3月、4月に2ndをレコーディングしている。何と2ndソロにはロニー・ジェイムズ・ディオも参加している(「Give Me Kindness」のバッキング・ヴォーカル)。
そしてレコーディング終了後はライブ活動へのバンド結成へ動き出す。いよいよWhitesnakeの始動だ。2ndソロのレコーディング・メンバーも、色々予定があったためそのままWhitesnakeにはならなかった。

ミッキー・ムーディは、気が合い、実力も相応で、作曲と演奏の両方でコンビになれるので、最重要パートナーだが、デイヴィッドも本人も1人ギターは望まなかったので、もう1人のギタリストを加入させることとなる。
デイヴィッドはファンクやソウルを開拓していたTrapezeを大変評価していたので、グレン・ヒューズを除く残りの2人、メル・ギャレーとデイヴ・ホランドに声をかけるが、Deep Purple解散後、グレン共々Trapeze再興に動き出していたために願いは叶わず。
代わって候補に浮上したのは、Paice Ashuton Lord(PAL)のバーニー・マースデンだった。デイヴィッド、ミッキーともに別のルートで接点があった上、実力、作曲能力、歌唱力とも申し分なかった。
Paice Ashuton Lordが暗礁に乗り上げ、Wings参加もなかなか決まらなかったバーニーはディヴィッドのバンド加入を決断し、早速1曲作ってみせた。加入から数日で完成

これでこの時点でのライブ活動メンバー(Whitesnakeになるバンド)はデイヴィッド、ミッキー、バーニーとなる。ベース、ドラム、キーボードは未だ不在。各パートのメンバー選考(オーディション)をしなくてはならない状況だった。
77年8月にミッキーがフランキー・ミラーのツアーに参加して際に知り合ったベーシスト・クリス・スチュアートにWhitesnake参加を呼びかけ、見事にOKの返事。ミッキー、バーニーも含めドラマーのオーディションを行なう運びとなるが、当日、クリスが来ることが出来なくなってしまう。ドラムのオーディションにベースは重要なので、仕方がなく近所に住んでいてバーニーの知り合いだったニール・マーレイに声をかけ、代役をやってもらうことになった。結局、ドラマーは不採用となるが、ニールが加わることになり、そのニールの知り合いであるドイヴ・ドウルがドラマーの座を得る事になる。
12月16日に初のリハーサルを行った。これがWhitesnake始動の瞬間である。キーボードは不在のままだった。

デイヴィッドのソロがリリースされたのは1977年と78年。折しもロック界はパンク旋風は吹き荒れているまっただ中ということもあって、デイヴィッドのソロは見向きもされずに終わってしまった。中には好意的な紹介記事もあったりしたが、その記事もまた無視されるようなご時世で、それほどパンクは凄まじい勢いを持っていた。
1977年12月、デイヴィッドは時間が開くとロンドンのライブハウスを巡っていた。その時不在のキーボード奏者を物色するためだ。デイヴィッドは真面目だし一生懸命だ。
ある晩のライブハウス・Speakeasyで頭がツンツンの若者に声をかけられている。「ヘイ、お前は誰だ」。
デイヴィッドは「俺は退屈な老いぼれだよ。で、あんたは?」と返事。
「俺はシド・ビシャスだ」
するとディヴィッドは「俺はDavid Ferociousだ。さっさと退散した方が身のためだぜ」と言い放った。
FerociousはもちろんViciousに引っ掛けている言葉で、意味は「獰猛な」である。シド20歳、デイヴィッド26歳であった。

2ndソロは78年3月になってようやくリリースされ、これを前後していよいよプロモーション・ツアーも計画されていた。いよいよ本格活動である。不在だったキーボードは2月に入ってからデイヴ・ドウルのツテでブライアン・ジョンストンに決まり、バンド名も正式にWhitesnakeとなり(当初はDavid Coverdale's Whitesnake)、全員揃ってリハーサルを行なった。3月2日に最終リハーサルをし、翌日が初のステージとなった(2ndリリースの1週間前)。ロンドンのリンカーン・テクニカル・カレッジのステージであった。デイヴィッドにとってはDeep Purpleの最後のライブ以来なので76年以来、2年ぶりということになる。
曲はデイヴィッドの2ndソロ曲を中心に、Deep Purpleの曲、そして数曲のカヴァー、「Rock Me Baby」や「Ain't No Love in The Heart of the City」等だ。「Heart of The City」はWhitesnakeとしてのどの曲よりも先に演奏されていたということになる。

プローモーション・ツアーは20回に満たないで終了し、ここまででキーボードはブライアン・ジョンストンからピート・ソリーに交代することになった。そして4月初旬に最初のEP『Snakebite』をレコーディング。アルバム制作は時間がかかるので、その前に何らかの形でバンドの音源を残したいという思惑からだ。4月下旬にはライブ活動を再開し、5月下旬から1stアルバムのレコーディングと精力的に活動。
6月20日に『Snakebite』がリリースされ、その後もライブ活動。8月にはジョン・ロードが加わり、ピート・ソリーの録音をすべてロードのものに差し替えられ、1stアルバム『Trouble』は10月にリリースされた。

2ndソロのリリースから、Whitesnake初のライブ、EPと1stアルバムの制作とリリース、早くも2度のメンバー・チェンジと、まさに怒濤の78年だ。だが、すべては上向きだ。
こうしてWhitesnakeがロック界に姿を現わした。

2018年11月9日金曜日

2人のギタリストの役割

Whitesnakeはツイン・ギターのバンドだ。ミッキー・ムーディとバーニー・マースデン、ミッキーとメル・ギャレー、メルとジョン・サイクス、エイドリアン・ヴァンデンバーグとヴィヴィアン・キャンベル、エイドリアンとスティーヴ・ヴァイ、ダグ・アルドリッジとレブ・ビーチ、そしてレブとジョエル・ホークストラ。(他にも若干の違うパターンがあるが、主なものはこんなところ)

ギタリストたちを選んでいるのはもちろんデイヴィッドだ。適当に選んでいるのではなく、ある程度明確なビジョンを持って選ばれている。というより、一番最初のミッキーとバーニーのパターンをそのまま後にも当てはめているだけかもしれないが、同じタイプを2人にはしないように、仮に似たタイプになってしまった場合は出来るだけ違う色を出し合うよう仕向けているようだ。

で、役割を簡単に分けてみると、一番重要なのは作曲パートナーだ。ギタリスト2人のうちのどちらかが作曲パートナーとなり、より重要度が増す存在となる。
ステージ上では、弾きまくる派手系ハードロック・ギタリストと、渋めのブルーズ・ギタリスト。バーニーとミッキーがモロにそれだ。スティーヴ・ヴァイが加入した時にエイドリアンが自分の存在価値に迷った際、デイヴィッドは明確な答えを与えている。「君はセクシーなブルーズ・ギタリストでいてくれ」

ハードロック  ブルーズ  作曲パートナー
 バーニー   ミッキー   バーニー
  メル    ミッキー    メル
 サイクス    メル     メル
 サイクス          サイクス
ヴィヴィアン エイドリアン エイドリアン
 ヴァイ   エイドリアン エイドリアン
  レブ     ダグ     ダグ

役割を簡単に整理してみた。立場が微妙なのはメル・ギャレーで、ミッキー在籍時はハードロック・タイプのギタリストとしての立場であったが、相棒はジョン・サイクスに変わるとブルース・タイプに変化する。特にメルのプレイ・スタイルが変わったわけではないので、あくまで相対的に、相手とのバランスを見て、ということになる。

サイクス一人ギタリスト時代は、ブルーズ担当がいないことになる。この時期は、サイクスの持つ多少のブルーズっぽさと、デイヴィッドのブルーズ色がWhitesnakeのブルーズ担当というが、他の時期と比べてブルーズ色が弱くなったのは仕方のないところだ。
しかし、その時期に最大のヒットである『Serpens Albus』を作ってしまったことでWhitesnakeのバンドとしてのアイデンティティがよく分からないことになってしまう。以降、ブルーズ担当のエイドリアンはヨーロッパ人だし、それほどブルーズの人というわけでもない。ヴィヴィンやヴァイと比較した場合にブルーズ寄りというだけのことだ。ダグはアメリカ人だが、やはりそれほどブルーズの人でもない。器用なのでブルーズもやれるのと、プロになってから勉強して身に着けたブルーズだ。

そして現在のラインナップはレブ・ビーチとジョエル・ホークストラだ。この2人はどちらがハードロックでどちらがブルーズなのだろう。
スライドの得意なミッキーと弾きまくりたいバーニーの場合は違いがハッキリしていたが、サイクス以降は全員ハイテク・ギタリストなので、基本的にどんなスタイルでも出来てしまう。ギタリストの奏法的な視点で見てみると、サイクス、エイドリアンはピッキング重視タイプ、ヴィヴィアン、ヴァイ、レブはハンマリング多用のレガート・タイプといえる。ダグもレガート・タイプだと思うが、レブと比較すればずっとピッキング派だ。(サイクスもハンマリング多用の早弾きは特徴的だが、ピッキングのトリルやゲイリー・ムーア・タイプの早弾きもあり、他と比べればという意味。エイドリアンも同様)
前者がブルーズ・タイプになりやすく、後者が派手系になりやすい。サイクスもヴァイやレブと比べれば明らかにブルーズ・タイプに分類されるだろう。
そこから考えればレブとジョエルの場合、レブはレガート・タイプだが、ジョエルはかなりのテクニシャンで、ハンマリング系もタッピングもレブ以上ではないかと思えるほどのレガート巧者だ。しかしピッキング系もブルーズっぽいものもかなりのものなので、結局彼はオールマイティの何でも屋だ。
ソロを担当する曲を見るとある程度わかるのだが、レブとジョエルの場合はこれも微妙だ。レブをブルーズ・タイプに分類するのは結構無理がある気がするが、以前はダグの担当だった「Crying In The Rain」なんかもブルージーに弾いている。しかし、もちろんジョエルもブルージーなものは出来るので、結局現ラインナップは各曲ごとに適材適所に役割を変えているのではという風に考えるしかないだろう。

と、いうよりもはやWhitesnakeのギタリストの役割は存在しないのかもしれない。ダグとレブまではある程度ライバル関係になって火花を飛び散らせるような雰囲気もあった。が、現在はレブが望んだ位置に着く事が出来、新参者のジョエルは何でも出来るので、何を押し付けられても問題ない、ということでとても平和にやっている、ということではないかと思う。トミー・アルドリッジが「ダグがいた時は今より緊張感があった」という証言を遺している。

2018年11月7日水曜日

作曲パートナーは3年前後で交代

Whitesnakeのメイン・ソングライターはもちろんデイヴィッド・カヴァデイルで、一人でも曲を作れるが、大抵ギタリストの相棒と組む場合が多い。作曲能力が高い相手で、ギタリストなので曲の核となるリフを作ることも出来る。
その作曲パートナーは約3年で交代するという話し。

Whitesnakeの歴史を見ると、初期の売れない時代はミッキー・ムーディ、バーニー・マースデン、メル・ギャレーといったギタリストがいて、ブレイクした時はジョン・サイクス、エイドリアン・ヴァンデンバーグ、ヴィヴィアン・キャンベル、ステーヴ・ヴァイといった面子で、前者と比較すれば後者の方が圧倒的に華やかだし、ハイテク・ギタリストになる。

前者はアルバム6枚とデビューEPを作り、後者はアルバム2枚(最初の解散をした『Slip Of The Tongue』までで数える)。
長い不遇の初期と短いブレイク時代というふうに見えるが、しかし、実際は初期の活動ペースが早過ぎるためにそう見えるだけだ。
更に言うと、メル・ギャレーとジョン・サイクスの在籍期間はとても短く、アルバム1枚でいなくなった印象が強いが、実際は意外にも結構長い

まず、在籍期間が一番長いミッキー・ムーディを見ておこう。ミッキーはあまり多作ではなく、デイヴィッドの作曲パートナーとしては不充分な存在となる。作曲パートナーとしては、Deep Purple解散後の1977年のソロの1st、翌年の2ndで活躍したが、Whitesnake結成後はその座をバーニーに奪われてしまう。しかし、ミッキーは作曲に携わらないというのではなく、その後も曲を提供し続けているので、他のギタリストと比べると立場が特殊だ。バンド創設メンバーでブルージーなプレイが得意なところを買われていたのだろう。ブルージーなギタリスト・ミッキーと作曲パートナーのバーニーというのが初期の図式だ。
1976年後半から78年前半までとなり約2年ということになる。

バーニー・マースデンは1977年末に加入するが、作曲パートナーらしくなるのは78年の『Trouble』制作時から。78年の前半はデイヴィッドの2ndソロの『Northwinds』を制作とリリースの時期だったので、78年中盤からということになる。
そこからは相思相愛的に蜜月の関係で順調にバンドのキャリアを上げていくが、ヒット曲『Fool For Your Loving』を出した後あたりから下降線に入る。馴れ合い・マンネリといった悪循環に陥り、1981年『Saint & Sinners』制作中に活動停止(正確には82年1月で停止)、バーニーはそのままバンドを離れることになる。
1978年中盤から1981年いっぱいまでなので、3年半だ。ちょっと長めだが、誤差の範囲内としてほしい。

デイヴィッドは当初よりTrapezeのギタリスト・メル・ギャレーに目をつけており、Whitesnake結成時にも声をかけて断られていたが、1982年になってついに成就した。バーニー同様、一番に作曲能力を買っていての勧誘だった。彼の作曲能力は『Slide It In』で充分に発揮されている。
メルがバンドを去ることになるのは、ツアー中にふざけて車の上で飛び跳ねていたところ、足を滑らせ屋根から落ち、更に運の悪いことに同様にジョン・サイクスがその上に落ちたために腕を骨折してしまったことによる。当初はドイツの病院に入院し回復を待ったが、腕にギプスをつけなければならなくなり、デイヴィッドに「そんなものをつけた君を見たくない」と言われ、そのまま解雇となってしまった。
1982年後半(夏の終わり頃)から84年後半(やはり夏の終わり頃)で2年。少し短めだが、それでも2年はパートナーの座についていた。

メルの離脱はツアー中だったので、新しいギタリストを探している暇はなく、Whitesnake史上唯一の一人ギタリスト時代となる。メル在籍時は比較的おとなしくしていたサイクスが、一人ギタリストになってからは俄然存在感を増していく。Whitesnakeというバンドは「看板のデイヴィッドとサザンロック風バックバンド」であったが、「スーパー・ヴォーカリスト、スーパー・ギタリスト、スーパー・ドラマーのいるスーパー・バンド」に変貌した。それでサイクスへの信頼感も増して、次のアルバムはこのメンバーでいくことを決める。作曲パートナーはもちろんサイクス。
サイクスが力を発揮した(加入は1983年)のはメル・ギャレーがいなくなった1984年の後半から、ケンカ別れとなった1986年暮れまでで、約2年半。

エイドリアン・ヴァンデンバーグは、『Serpens Albus』に対する貢献は1986年暮れの「Here I Go Again」レコーディングのみで、しかもこれはバーニー時代の曲なので、ギタリストとしての貢献はあったが、作曲パートナーとしてはツアー中にデイヴィッドと作曲を始めてからなので、1987年後半ということになる。1990年に解散となるので3年半となるが、途中レーコーディングの期間にぬけているので3年。
Slip Of The Tongue』はほぼエイドリアンの曲だが、腕の不調で離脱した際、スティーヴ・ヴァイへあれこれ注文をつけることはなく、完全に引っ込んでいたというから、曲のアレンジやギター・パートについてもこの時期のインプットはないことになる。

この時期以降のWhitesnakeは活動のペースもゆったりしたし、メンバーの他の活動も認めるなど、だいぶ変化したので、この『約3年交代説』もここまでとなるが、デイヴィッドは意識はしていなかっただろうが、結局コンスタントに相棒を取り替えていたことになる。
バンドの顔は、もちろんデイヴィッドであり、デイヴィッドさえいればWhitesnakeは成立する。曲の善し悪しやバンド内の適度な緊張感といったものが低下して来ると、新しい血を導入する。長く続ける上で常に新鮮でいる秘訣なのだろう。マンネリ化も避けられるというものだ。

2018年11月5日月曜日

1990年、初来日公演!

Rolling Stonesの初来日は1990年。1973年に来日が決まりチケットも発売されたが、過去の大麻所持を理由に入国許可がおりずに中止になったことがあった。90年の時は、追加公演も含め東京ドームで10回の公演が行われた。私はそのうちの最終日、2月27日(火)に行った。
マイク・タイソンの試合が東京ドームで行われ、衝撃のKO負けを喫した直後の日程。当時は、60年代からの伝説のバンドついに初来日!という感じで大騒ぎになったし、メンバーはすでに40代後半だったので、多分これが最初で最後の来日となるのではないかと言われていた。

セットリストは以下の通り。

Continental Drift (89年『Steel Wheels』収録)
Start Me Up (81年『Tattoo You』収録)
Bitch (71年『Sticky Fingers』収録)
Sad Sad Sad (89年『Steel Wheels』収録)
Harlem Shuffle (86年『Darty Work』収録)
Tumbling Dice (72年『Exile on Main St.』収録)
Miss You (78年『Some Girl』収録)
Ruby Tuesday (67年『Flowers』収録)
Angie (73年『Goats Head Soup』収録)
Rock And A Hard Place (89年『Steel Wheels』収録)
Mixed Emotilons(89年『Steel Wheels』収録)
Honky Tonk Woman (69年 シングル曲)
Midnight Rambler (69年『Let It BLeed』収録)
You Can't Always Get What You Want (69年『Let It BLeed』収録)
Can't Be Seen(89年『Steel Wheels』収録)
Happy (72年『Exile on Main St.』収録)
Paint It Black (66年 シングル曲)
2000 Light Years From Home (67年『Their Satanic Majesties Request』収録)
Sympathy For The Devil (68年『Beggars Banquet』収録)
Gimme Shelter (69年『Let It BLeed』収録)
It's Only Rock 'N Roll (74年『It's Only Rock 'N Roll』収録)
Brown Sugar (71年『Sticky Fingers』収録)
Satisfaction (65年『Out Of Our Heads』収録)
Jumpin' Jack Flash (69年 シングル曲)

最後の「Jumpin' Jack Flash」はアンコール曲。
全時代を網羅するようなグレイテスト・ヒッツ的な選曲だ。『Steel Wheels』からの曲が多いのは、そもそも『Steel Wheels』のプロモーション・ツアーなので当たり前だ。

実質のオープニングが「Start Me Up」なのは事前に知っていたが、知る前から予測していた。タイトルからしてピッタリだから。
2年前にミックがサイモン・フィリップスやジョー・サトリアーニを引き連れ単独来日公演をした時のオープニングは「Honky Tonk Woman」だった。それもなかなか良いオープニングだと思っていたが、今回は無難な選曲。

もう少しマニアックな選曲があっても良いと思ったが、初来日だし、何しろこの年の東京ドームだけで50万人以上が見たことになるのだから、無難な選曲で良いのだろう。

どの曲もプロフェッショナルなレベルで音も良かったし、たくさんのバック・ミュージシャン(5名?)のサポートもあり、完成度も高いものだった。同じ場所での10回目だったのにも関わらず、気合いも充実していたし、素晴らしかったと思う。

ただ、Stonesの場合、その魅力は黒いノリだったり、ブルージーさだったり、そして、チープでルーズなワイルドさだったりするはずなので、あまりの充実ぶりにちょっと違和感というか「?」マークをつけたのも確かだった。80年代のライブ映像もたくさん見ていたので予想通りとも言えるのだが、完成度の高いライブがStonesらしくないように感じてしまう。これはその後のライブでも感じることだが。
「Satisfaction」にしろ「Paint It Black」にしろ、テンポが早いのでアッサリしている印象で、スネアのヌケがやたらと良いために軽い感じで聴こえてしまう。「Midnight Rambler」も70年代のような緊迫感や危険なニオイはしなかったし、「Sympathy For The Devil」は割と良かったと思うが、ゴージャスな感じは少し違和感。『Steel Wheels』の曲が一番良かったのは、当然といえば当然かもしれないが、メンバーの見た目の年齢以外には歴史を感じさせる物は少なかった。

予想に反していたことの一つに、キースのギターがかなり上手かったこと。時折入れるオブリガードなどかなりカッコ良かったし、キースらしいキメ・ポーズも良かったし、ヴォーカルをとった「Happy」もかなり盛り上がった。

きっと私はStonesはルーズで下手クソという先入観が強すぎるのだろう。本来のStonesをちゃんと見ていないのかもしれない。

チープさという意味で、95年のライブアルバム『Stripped』の雰囲気は良かったと思う。

2018年10月31日水曜日

鉛の飛行船

バンド名はThe Whoのキース・ムーンの口癖をモジってつけたという。Beatles派の私は当初このバンドの良さは理解できなかったので、ファンになるまでに随分時間がかかってしまった。
ファンになるキッカケは定番中の定番「天国への階段」だ。70年代最高の曲、いや、ハードロック界最強の曲とも言われるほどなので、興味から聴いてみた。しかし最初はピンと来ず、いい曲だというのは分かったが、そこまで凄いのかは分からなかった思い出がある。
本格的に好きになったのはバンドを始めてからだ。どの曲も最高のグルーヴがあり、若さとノリが素晴らしく、カッコいいリフやギター・ワークがあり、それでいて知的でもある。

このバンドもメンバーの個性が強く、「どのメンバーが好きか」という質問が愚問に思えるようバンドだ。ジミー・ペイジは言うに及ばず、一番目立つロバート・プラントとの2枚看板に思えるが、ZepがZepであるためにはどうしてもボンゾ(ジョン・ボーナム)の凄いドラムは外せない。そして、存在感の少ないジョン・ポール・ジョーンズだけはどうでもいいメンバーかと思いきや、これまた要のような重要人物だ。

好きな曲を選ぶのもこれまた困難だが、無理矢理選ぶと、他のバンドもそうだったが、どうしても定番曲が並んでしまいがちだ。

・Good Times Bad Times
・Thank You
・Friends
・The Battle Of Evermore
・Stairway To Heaven
・Going To California
・The Song Remains The Same
・Over The Hills And Far Away

10曲を選んでみたが、最初の5枚までのアルバムばかりに集中してしまったが、後期が嫌いなわけでは決してない。また、アコースティック曲が多いのも単なる偶然だ。偶然とはいえ、ペイジのアコースティック・ギターがかなり好きなのもまた事実。
それからこれ以外の曲は大して好きではないという意味でも決してない。というより、10曲しか選べないから泣く泣く外してしまった曲も多数なのだ。

好きなアルバムというと、やっぱりNo.1は『Four Symbols(いわゆるIVのこと)』になってしまうが、これまたそれ以外は好きではないという意味ではまったくない。

1980年にボンゾが亡くなってバンドも解散。Beatlesとともに、二度と見られないバンドとなってしまった。そういう意味では、90年代のCoverdale PageやPage Plantは貴重な存在だったが、2006年の一夜限りの再結成は見ていない。70年代のZepが見られるはずもなく、何となく自分の中の伝説像が崩れてしまいそうな気がするから。何だか神聖視している自分がいる・・・。

2018年10月30日火曜日

『Serpens Albus』30周年記念盤

ちょうど1年くらい前に『Serpens Albus』の30周年記念スーパー・デラックス・エディションが発売された。CDとDVDの5枚組というまさにデラックス盤だ。
これについて、結構ボロクソに言っている意見もネット上で散見されるが、そについての考えを書いておこうと思う。

否定的な意見はだいたい「金儲け主義だ」というのと「リマスターやリミックスが良くない」というもの、「オマケ的なライブやエボリューションズが良くない」というものに分けられると思うが、少しそれに反論してみる。

「金儲け主義だ」
まぁ、これは仕方がない。ビジネスだし、発売する以上は金儲けだ。「過去の遺産にゴミのような付録をつけて2度3度と金をむしり取ろうとするなんて悪質だ」という意見も分かる。
しかし、嫌なら買わないという選択肢もあるのだから、ちょっと筋違いだ。私は大ファンなので(ちょっと痛い出費ではあるが)喜んで期待して買った口だ。買った結果「買わなきゃ良かった」とか「ガッカリ」ということもあり得るが、それでファンをやめたりするのも自由だ。デイヴィッドとしても、過去の栄光に傷をつけてしまうリスクもあるわけだから、お互い様だろう。
私はWhitesnakeの大ファンなので何も気にならないが、まあまあのファンとかそれなりのファンだと微妙なセットだとは思う。私も他のバンドのそういう記念盤を聴いてみたい時があるが、高すぎるし、そもそもオリジナル盤は持っているし、ということで買わない場合も多々ある。そのあたりは個人の判断の問題だ。
まぁ、買った人は批判意見や文句を言う権利もあるので、「つまらなかった」という人はそれを口にすれば良いと思う。
だから、「金儲け主義」という意見には私は特に意見はない。「そう思う人もいる」ということだ。

「リマスターやリミックスが良くない」
1枚目は当時のイギリス盤のリマスター。4枚目には4曲のリミックスが入っている。「高音が強すぎる」とか「ギターが引っ込んでしまった」とか「当時の迫力や感動といったものが感じられない」というような様々な意見があるが、これも意見を持つこと自体は自由なので、感じたままで良いと思う。
一つ忘れてはならないことは、「リマスター」といえど、当時の音を最新鋭の技術でキレイにしたものではない、ということ。
「リマスター」とは「マスタリングをし直すこと」だが、イコール「音をキレイにする」ということではない。「キレイにする」というのはあまりに漠然としている。もちろんノイズを出来うる限り除去したりはするが、その他、例えば高音が足りないと感じれば高音を持ち上げたり、同様に低音を持ち上げたりもする。当然その判断は現代人の耳で行う。現在の技術レベルや音の流行りに照らしてその人が「最高」と思えるものを作る。だから当然、当時のものとは違うものになる。それが自分の好みのポイントと合致すれば「音が凄くなっている!」ということになるし、好みとちょっと違う場合は「昔の方が良かった」となる。これは当たり前なのだ。更に言えば、「昔の方が良かった」と思う人は昔のCDを聴けば良い、ということだ。

「リミックス」はミックスもやり直すので、もう少し大胆な作業になる。これは聴く前からオリジナル音源とは違うことを期待しなければならない。定位や聴こえない楽器の音が聴こえたりすることもある。それを楽しみにするものだ。「昔と違う」というのはそもそも筋違いだ。

私はオリジナル尊重派だ。だから今聴くとちょっと変な感じがしたとしても(古い時代のものはそういうのが多い。Whitesnakeでは特にないが)、当時はそういう音を聴いていたということで、それが聴きたい。とはいえ、レコードの時代の音をCDや音楽プレーヤーで聴いている時点で収録方法が違うし、厳密には同じものではない。
「音圧が上がった」というのも、少し勘違いしている人もいるように思うが、音圧が上がると「音に迫力が出る」というのとイコールのようで、そうではない。デジタル時代の現代ではほぼイコールだが、アナログ時代の遺産については単に音圧を上げれば良くなるというわけでもない。音圧を上げるというのは、「音が割れないようにしつつ全体的に信号量を最大限まで増やす」ということで、飛び抜けて大きな音が一つでもあれば全体を上げられないことになってしまうから、その音についてはリミッターをかけて上がらないようにするということ。CDに収録出来るダイナミクスは一定だから、その範囲にうまく収まるようにするということだ。だから、平均的に迫力は出ているけれど、異端的に飛び抜けた音は平均化されてしまうということ。
とにかく、私はリミックスやリマスターよりオリジナルという考えだ。

だが、こういう企画は昔と違う音だからこそ楽しめると考える。同じだったら買う意味がない。それはガッカリする場合もあるが、逆にオリジナルの良さを再発見する場合もある。今回の場合は、私は、音はクリアになった分、オリジナルはリバーヴが強すぎて音がこもりがちという時代性が出ていると思うが、それを素晴らしいと思って聴いていたんだなと再確認した。昔も「リバーヴが強すぎで何をやっているのかわからない」とか「ギターを重ね過ぎ」という批判があった。今回の方がスッキリしていて、それこそ「どちらかお好みの方をどうぞ」ということだろうと思う。

「オマケ的なライブやエボリューションズが良くない」
2枚目はライブ、3枚目はエボリューションと題したスタジオ・アウト・テイクス。
まずはライブについて。これは代々木でのライブ音源で、もちろんもともとライブ盤として発売する予定もなかったもので、Bootlegでは結構有名だったものだ。なので、ライブ盤として作られることを想定したものよりレベルが低いのは当たり前だ。当時のメンバーは誰もいないので、オ-バーダビングや修正も出来ないので尚更だ。ライブ盤というより、「2度と帰らない当時の空気感を少しだけタイムマシンで覗いてみよう」という主旨になるはず。これは90年のヴァイ期のものや、スーパーロック84の時のものも同様だ。新たに歓声をかぶせる必要は私はないと思うが、公式盤としてリリースする以上は最低限の体裁は整えないといけないということだ。音がスカスカだったり、声がでていなかったり、演奏が粗かったりしても、私は何も気にならないが、気にする人も当然いるので、歓声も「少ないよね」「あまり盛り上がっていないようだ」と思う人もいるかもしれない、という判断だ。
また、ところどころ実際の音をカットしてあるが、フルで聴きたい人はBootlegを聴くしかないでしょう。カットしているのは、私はあまり重要ではない部分だと思うので問題ないと思う。ある程度コンパクトにした方が良いというのも私は頷けるが・・・。 一般的なライブ・アルバムの「本当はLive In Studio」というようなものよりよほど興味深いと思う。

エボーリューションズについては、なぜ「エボリューション(進化)」というタイトルなのかは疑問が残る。まあ、初期の音源からだんだん進化していくからだろうが、どちらかというと「先祖返り」とか「誕生前」というような意味の方がピッタリ来ると思う。
しかし「デイヴィッドに合わせてサイクスがギターを弾かされている」というよな見方はまったく違う。ああやって曲を仕上げていくものだし、サイクスが弾かされているのではなく、曲作りにおいては基本的には50/50だ。曲によってデイヴィッド色が強いもの、サイクス色の強いものとあるだろうが、トータルではだいたい50/50になる。
あの時点での「ギターアレンジはこまで出来ています」という貴重な資料と見るべきだ。ヴォーカル・ラインや歌詞もまた然りで、ボツになったもの、繰り返しが増えたもの減ったもの、新しいパートが追加されたものなどが分かり非常に興味深い。
例えば「Still Of The Night」の場合、ギター・リフの固まりのような曲だが、デイヴィッドのインプットがかなり多いんだなということが分かる。休符の入れ方も違うし、初期の時点から休符の多い曲を狙っていたことも分かる。
出来れば初期のデモをそのまま聴きたいところだが、そうした場合、それこそクズ呼ばわりする人が続出すること必至なので、こうなったのだろう。そういえば昔に『Beatles Anthology』シリーズが出た時も「栄光の伝説に傷をつけるゴミの集まり」とか「手品の種明かし」という批判が沢山あった。しかし私は是非「手品の種明かし」を見たい。見たからといって、曲の魅力が下がることはないと思う。ファンでもない人に聴かせれば「何だこりゃ」となるだろうが、こういうボックス・セットを買うのはコアなファンと相場は決まっているものだ。

それから、このだんだん進化していく「エボリューション」というアイディアもおそらく『Beatles Anthology』の「Strawberry Fields」から来ているのだろうと思う。

2018年10月29日月曜日

愛すべきマッドマン・Ozzy

Ozzyを知ったのは他のHMバンドより少し後だった。ちょうど『No Rest for the Wicked』が出た頃だ。だから、最初はランディ・ローズもジェイク・E・リーも知らなかった。結構大物だということは知っていたので、このアルバムが出た時に「どれどれ」と聴いてみたわけだ。「まぁ、結構いいかも」という程度だったが、ちょうどバンドのメンバーが聴いていたランディの『Tribute』を借りてドハマリした。更に、バンドの女性ヴォーカルが好きだという曲を聴かせてもらったら、それが「Shot In The Dark」。これも良かった。つまり、ほぼ同時にランディ、ジェイク、ザックを知ったという具合。

オジーで好きなのは、1stから『Ozzmosis』までだ。それ以降は知らない曲もあるし、あまりピンと来ていないので、ここでオジーの話しといえば基本的に90年代中盤から後半にかけてまでだ。ギタリストで言えば、ジョー・ホームズからザックに戻るあたり。

ランディ、ジェイク、ザックの3人は甲乙つけがたいほど好きだが、それでもあえて順番をつけるなら、ザック、ランディ、ジェイクの順になる。それでもジェイクも充分好きなギタリストで、影響も多大に受けている。

まずランディ。すでにイングヴェイも知っていた後にランディだったので、テクニカルで圧倒されることはなかった。もちろん技巧的なレベルが高いのは言うまでもないが、それよりも理路整然とした知的センスや、詰め込みではない早弾き、そしてイングヴェイとは違う、ロック・ソングの中でのクラシカル・フレーバーが素晴らしいと思った。そして、その後に知った小柄で色白で華奢な美少年が、激しいギターを弾くというアンバランスも魅力だった。更には若くして飛行機事故で亡くなってしまったという桜の花びらのような儚さ。オジーとは、まさに天使と悪魔のような対比が出来過ぎという感じですらあった。「Mr.Crowley」「Revelation」「Diary Of a Madman」といった曲を聴けば、劇的なギターを堪能出来る。

ランディ死後のジェイク。日系人(母が日本人)の彼はアジア顔の黒髪で、ランディとはあまりにも違う。しかし、若々しいアグレッシヴさがあって、ランディとは別のテクニカル。破壊的なギターの音も良かったし、派手なアクションとともに別のカッコ良さがあった。当時全盛となるLAメタルっぽさマッチしていたし、シーケンス・フレーズもギター好きには興味の対象として充分アピールしていた。暗く重い感じのSabbathの雰囲気を継承した部分のあるランディに対し、もっと軽くオシャレな響き(9thとか)を持っていたのがジェイクだ。

そしてザック。オシャレなジェイクの後に、豪快一発みたいな、また全然違うタイプの登場。しかし、Sabbathやランディへの敬愛ぶりはかなりのもので、そのせいで、ジェイクのようにランディの影を消そうと頑張るのではなく、逆に「ランディ大好き」と公言してしまい、ソロもかなりランディのフレーズに似せて弾くあたりに潔さを感じた。完全コピーではないが、近いものを弾いておいて、それでいて個性を感じさせることが出来るのがとても新鮮だった。ソロも使い古されたようなペンタトニックが主流で、それでいてハイテクなのだから矛盾しているようだが、新世代だなという印象を持った。
3人の印象はそんな感じだ。

もちろんそれ以外のギタリスト、ブラッド・ギルス(それほど好きではないが)、ジョー・ホームズ、ガスG、更にはバーニー・トーメも含め聴いている。その他、ボブ・ディズリー、ルディ・サーゾ、トミー・アルドリッジ等、他のパートのミュージシャンも多彩な顔ぶれでそれぞれに良さがあり、そのうちに触れてみたいと思う。

2018年10月25日木曜日

2つの顔を持つ白蛇

個人的にメタル系バンドの中ではトップクラスの大ファンだ。そしてそれは何と言っても『Serpens Albus』があまりにも凄いアルバムだったからだ。ギターは全曲コピーし、結構難しいので一生懸命練習したし、組んだバンドでも下手クソながら何曲もトライした。メンバーの見た目もゴージャスだったし、バブルで浮かれていた80年代にピッタリの象徴するようなバンドで、今でもあの楽しかった時代を思い出すように(?)しょっちゅう聴いている。
最近30周年記念盤が出た。内容に賛否あるようだが、私は楽しんで聴いている。

89年に次なるアルバム『Slip of the Tongue』が出た。エイドリアンはVandenberg時代から大好きなギタリストだったので、スティーヴ・ヴァイは不安だったものの、期待度は最大級だった。しかし、結果は「?」。何度も聴いているうちに好きな曲もたくさん出来たが、前作に比べると3分の1かそれ以下だ。
これは全部スティーヴ・ヴァイのせいだと思うことにして、更に次作、97年の『Restless Heart』も今ひとつだったので、結局『Serpens』はジョン・サイクスが偉大だったのね、という風に考えるようになった。

そういう意味で、サイクスの89年の『Blue Murder』は『Serpens』の続編として一番近い感じに位置づけられるし、恐らくサイクス自身、「あのアルバムを作ったのは俺だーー!」と言いたくて録音したのだろう。ヴォーカルも自身でとって、歌も上手いことに驚いたものだが、ただ、やはりヴォーカリストという点ではデイヴィッドが数段上だ。
それに、『Slip of the Tongue』や『Restless Heart』、Coverdale Page等を聴いていると、ギター大好きな私だが、デイヴィッドの歌にもかなり魅かれていることに気がつく。

ギタリストが曲を作ると、すぐに曲の構成がどうとか、コードが、ソロが、と細部に気がいってしまいがちだが、ボスがヴォーカルだと曲を客観的に見て、一般に良いと思われるような感じに仕上がるように思う。その点でこのバンドは結局デイヴィッドの影響によるものが大きいんだろうと思う。

それからもう一つ重要な点。
ずっとメタル・バンドのWhitesnakeが大好きで、古い時代の曲も知っていたが、それほど関心はなかった。別バンドというか、ダサい時代のWhitesnakeという感じ。ミッキー・ムーディやバーニー・マースデンもたんなる田舎者のローテク・ギタリストとしか見ていなかった。
ところが、年のせいか、最近初期Whitesnakeの素晴らしさに目覚めてしまった。自分でもビックリだ。初期ギタリストの評価も180度変わってしまった。『Snakebite』や『Trouble』が大好きだ。『Serpens』と違うのは明らかだが、どっちが良いかと言われても答えられない。どちらも凄いと思う。いわば「一粒で2度おいしいバンド」という感じ。
「British Whitesnake」と「American Whitesnake」という2つの顔があるわけだが、こういうタイプのバンドは珍しい。アメリカは巨大な市場なので、売り上げ的にはアメリカの方がずっと大きいことになるが、BeatlesにしろStonesにしろ、アメリカのバンドとは言わない。Def Leppardなんかはちょっとソレっぽいが、Whitesnakeほどではない。

今、改めて最初からのすべての曲をジックリと聴き直している。新しい発見があるから楽しいし、バンドを見る目も少し変わったように思う。
それをこれから書いていこうと思う。

2018年10月24日水曜日

音楽の扉を開いたBeatles

私にとって、ギター、ロック・ミュージック、音楽すべての扉を開いたのがBeatlesだった。

衝撃の出会いは小学生の時のジョン・レノン暗殺のニュースだった。Beatlesという外国の超大物バンドの存在を少し前に知っていて、それから間もなく、そのメンバーが暗殺されたのだ。「ミュージシャンを暗殺?」「犯人は熱狂的なファン?」 小学生でもその衝撃は理解できた。出会いはその悲しい事件がきっかけだった。
当時のニュース中に「Yestarday」や「Let It Be」がかかっていたが、どちらもポールの曲だということはその時は知らなかった。それどころか、ロックというジャンルすらよく分かっていないレベルだった。
最も、幼い頃に見ていた『ひらけ!ポンキッキ』の番組中に使われていた中で、印象的で覚えてしまった曲がいくつもあったが、それこそが出会いだったかもしれない。しかし、それが誰の何という曲かまったく知らなかったし、ただのBGMとしてしか認識していなかった。覚えている曲は「Please Please Me」「Baby It's You」「Please Mr.Postman」「Here Comes The Sun」など。ずっと後に、「この曲聴いたことがある。ポンキッキの曲だ」と思った次第。似た体験をした人は結構いると思う。

その後、赤盤(ベスト盤の『1962~1966』)を買ってもらい、友達の影響で『Beatles 100』という楽譜集に少しだけ出ているイントロのピアノの部分を弾いてみたりしているうちに、ギターを知り、コードを知り、やがてBeatles周辺のミュージシャンからだんだん外部のアーティスト、ジャンルへ広がっていく、という経験をした。
Beatles周辺のミュージシャンというのは、ライバル的存在のBeach BoysやRollong Stones、交友のあったEric ClaptonやElton Johnなど、そして彼らと関係のあるそのまたその側の人たち、という具合だ。

さて、Beatlesで好きな曲を10曲挙げてみよう。Stonesの時と同じく、10曲に絞るのはほぼ無理だが、今日の気分であえて選んでみる。明日は全然違う10曲かもしれないが、できるだけオールタイムっぽく選曲する。

・All I've Got To Do
・I'll Be Back
・No Reply
・I'm A Loser
・For No One
・Strawberry Fields Forever
・Penny Lane
・With A Little Help From My Frirnds
・She's Leaving Home
I Will

Stonesよりは少しマニアックになったように思うが、大好きな曲をいくつも選から漏らすことになってしまった。それに比較的メロディックな曲ばかりになってしまい、ノリの良い曲がないのも、決してバラード系が好きというわけではない。たまたまだ。ロックンロール・Beatlesももちろん大好きだ。
好きなアルバムは、これも難しいが『Abbey Road』になるだろうか。昨年出た『Sgt.Pepper』の記念盤をよく聴いているので、これも甲乙つけがたい。もちろん、他にも好きなアルバムはいくつもある。

好きなメンバー。人間的影響はジョンからが一番多く受けている。音楽的にはポールだと思う。詞はジョンはもちろんだが、ポールの詞もかなり好き。もちろんジョージとリンゴも好きだし、ジョージ・マーティン、ピート・ベストも結構好き。客演したビリー・プレストンやエリック・クラプトンも凄いと思う。

私にとって、Beatlesは曲が好きなだけではなく、そこから音楽のあらゆる事を学んだという点で重要な存在だ。ピアノやギターの弾き方はもちろん、コードやハーモニー、曲の組み立て、バンドのあり方、音の善し悪しに至るまでをBeatlesから学んだ。また、楽譜の書いてある通りに弾いても少し違う気がして、1小節とか1音だけのために何十回も聴くというようなことをして、耳も鍛えられたと思う。結局楽譜は参考程度で、耳コピーをするハメになるというのがパターンだった。
メンバー間の諍いも勉強のタネで、人間関係や人付き合いのようなもの、ジョンとヨーコやポールとリンダから男女の愛の形までBeatlesから学んだと思う。

そういうわけで私にとって、Beatlesはとてつもなく大きな存在なのである。

2018年10月23日火曜日

マイフェイバリット・バンド!!

素晴らしいバンドは数あれど、自分にとって最強にカッコいいバンドがRolling Stonesだ。(Beatlesは神なので、別格のランキング外)

Beatlesを好んで聴いているうちに、「ライバルのStonesとはどんなバンドだ?」となって、レンタル屋で借りて聴いたのは高校1年生の時。衝撃だった。第一印象は「何て下手なんだ」。続いて、「何ていい加減なんだ」というもの。どうしてもBeatlesとの比較になってしまうから、「全然違うじゃないか!」となってしまった。しかし、どういうわけか「もう1回聴いてみようかな」という気になって、また「何だこの下手さは!」となる。それの繰り返し。すでにStonesの虜になっている(笑)。

60年代は、Beatlesのライバルとしての存在感。ワルっぽい雰囲気。ポップでないのに、女の子にウケる時代感。
70年代は、ブルージーなハードロック・バンドのイメージ。完全に、「汗クサい男のバンド」と化した。
80年代は、巨大化し、ショーアップされたライブ・バンド。曲も分かりやすくなった。
それ以降は活動のペースが遅くなって、一応存続していますという感じ。やはり60年代、70年代が凄かったと思う。
自分がライブを見たのは1990年が初なので(その時が初来日だし)、好きな時代とは全然別だった。伝説に触れたいという一心でライブに出かけたが、「ちょっと違うな」という印象。もちろん、ライブは充分楽しめたし、感激も大きかったが。

Stonesで好きな曲は何だろう? Beatlesもそうだが、1曲や2曲に絞るのは至難の業。いや、ベストテンだって無理だろう。それでもあえて並べてみる。
・Time Is On My Side
・Satisfaction
・19th Nervous Breakdown
・Ruby Tuesday
・She's A Rainbow
・Gimme Shelter
・Mixed Emotions
・Slipping Away
こんなところだろうか。日によっても変わるだろうが、やはり比較的有名な曲になってしまった。やはりこれだけに収めるのは無理で、この他にもとても沢山の曲がある。上記にない曲は好きではないという意味では全然ない。いつでも上位に来る曲を挙げてみただけだ。

上記に1曲も入っていないが、アルバムとなると『It's Only Rock 'N Roll』が一番好きかもしれない。もちろんアルバムも好きなものはたくさんある。

好きなメンバー。これも選ぶのはほとんど無理だが、やはりStonesの顔として、ミック・ジャガーということになるだろう。もちろん、キースは絶対だし、チャーリーとビル・ワイマンもそれに近い。ブライアンも最重要メンバーだし、『It's Only Rock 'N Roll』で弾いているミック・テイラーもかなり好きだ。ロン・ウッドは少し落ちる。むしろ(というか当然)イアン・スチュアートの方が気になる存在だ。


さて、今回は個人的にどんなところが好きかを書いたが、次回からはどこかのポイントに絞って書いてみたい。