2018年12月6日木曜日

Bernie Marsden

Whitesnakeのバンド結成時に加入したバーニー・マースデン。すでにデイヴィッドの2枚のソロ・アルバムからミッキー・ムーディがギタリストとしてデイヴィッドの補佐役となっていたが、デイヴィッドが(Deep Purpleとの差別化の意味もあり)ツイン・ギターのバンドを想定していたし、ミッキーも自分が一人で看板ギタリストを背負うのは自信がなかったらしく、あっさりとバーニー・マースデンを加えることになっている。
バーニーのギタリストとしての腕はもちろんだが、それ以上に作曲能力や歌が上手いことも参加の決め手となっている。つまりデイヴィッドは作曲の相棒として見ていたことになる。これは後のメル・ギャレー、ジョン・サイクス、エイドリアン・ヴァンデンバーグ等と同じ立場だ。デイヴィッドは作曲パートナーの存在を重要視しているので、加入時からバーニーは特別な存在であったことが分かる。

バーニーは加入後、早速作曲で能力を見せつけ、短時間で「Come On」を作って見せる。それ以降のWhitesnakeの曲作りはディヴィッドとバーニーが核となり、たまにミッキーという図式になる。
本当は、当初はバーニーだけがパートナーではなく、曲を書ける人は書くスタイルだったようだが、ミッキーは多作な方ではなく、大物ミュージシャンのジョン・ロードやイアン・ペイスも作曲能力はたいしたことがないので、デイヴィッドとバーニー中心にならざるを得ない状態で、何よりそれがデイヴィッドのスタイルとして楽なやり方となっていく。それはDeep Purpleでリッチー・ブラックモアが何かギターのアイディアを示し、それに適当なメロディをつけて歌いながら曲の骨子を固めていくというやり方と同じで、それがデイヴィッドの曲作りのスタイルとなることになっていく。
このスタイルのおかげで悩まなくてはいけなくなるのがヴィヴィアン・キャンベルだったりレブ・ビーチだったりするのだが、それはまた別の機会に。

デイヴィッドとバーニーの相性は良く、次々に名曲を生み出し、ヒット曲も出した。「Fool For Your Loving」だ。
バンドは短いサイクルで激烈に活動し、早いテンポでアルバムを出し、ライブ・ツアーに明け暮れ、やがて疲弊していく。バンドが悪いマネジメント契約に縛られ、働いても働いても金が回って来ない状況にもウンザリしている状態。ミッキーによると、「売れていて、ライブでも人が満杯になるのに、いつもバンドは借金をかかえている」と言われていたそうだ。
バーニがクビになる原因は、恐らく明るい性格のバーニーが悪ノリしすぎていて、バンドの契約問題でピリピリしていたデイヴィッドの怒りを買ったからだろう。バンドに緊張感がなく、停滞気味になっている一番の元凶は能天気な雰囲気のバーニーだということになったのだと思う。バンドの士気も下がりに下がって、結局1981年いっぱいで、マネジメント契約から脱するためにもバンドは活動停止状態となる。
その一方で、デイヴィッドとバーニーはバンドがダメになっても作曲パートナーは存続させようと語り合ったそうだ(バーニー談)。ということは、デイヴィッドはバーニーの作曲能力や相性の良さを自覚していたということと、Whitesnakeがここで消え失せるのも覚悟していたのだということが分かる。

1982年夏にバンドが再開した時、そこにバーニーの名前はなかった。デイヴィッドの長年の念願だったメル・ギャレーの参加が決まったからだ。簡単に言えばデイヴィッドの裏切りだ。ここでバーニーのWhitesnakeとしての歴史は終わる。

だが、バーニーの遺した遺産はバンドにもデイヴィッド個人にも多大なものがあった。半年もすると早くもデイヴィッドは懐かしく思い、メルに「バーニーはこうやっていた」とか「バーニーはこんな風に弾いていた」と言うようになり、気を悪くしたメルが「それならバーニーを戻したらどうだ」と言い返したという。
楽観的でさっぱりした性格のバーニーは、1983年にWhitesnakeを見に行き、そこで裏切り者・デイヴィッドとも声をかわしている。だからバーニーとデイヴィッドの仲は悪くない。

デイヴィッドは敵を作りやすいタイプの人間で、侮辱して去らせたミッキー・ムーディ、陰湿に別れることになったコージー・パウエル、大ゲンカしたジョン・サイクス、見下したように去っていったヴィヴィアン・キャンベル等、最悪の関係になってしまった人も少なくないが、バーニーとは友好的な別れであった。それはひとえにバーニー側の性質によるところが大きい。
デイヴィッドが人を切る際、突然連絡を断ち、金も支払わず、それっきり、というパターンがほとんどだ。問題のあるやり方だが、それをまともに乗り越えたのはバーニーだけではないかと思う。バーニーは最近でも何度かWhitesnakeのライブに飛び入り参加している。

そして忘れてはならないのは、Whitesnakeが大ブレイクしたのもバーニーの功績が大きいということだ。『Serpens Albus』の「Here I Go Again」と『Slip of The Tongue』の「Fool For Your Loving」はバーニーの曲だ。(「Crying In The Rain」もバーニー時代の曲)
特に「Here I Go Again」は1位になっているし貢献度は大きい。Whitesnakeの大ブレイクはバーニーの曲とタウニー・キタエン(ビデオ・クリップで目立ちまくった)、そして時代に乗ったヘア・メタルのインパクトが3大要因ともいえる。もちろんWhitesnakeはデイヴィッドのバンドなので、本人の頑張りが一番大きいし、ジョン・サイクスの貢献度も大きいに決まっているが、それは売れたアルバムなら当然のことだ。それが基本的にある上で、バーニーとタウニーとヘア・メタルの雰囲気が大きかったという話しだ。

思うに、バーニーだけはWhitesnakeの数多くの元メンバーたちの中でも一番の重要人物といえるのではないかと思う。
ミッキーも重要で、デイヴィッドにとっての最初の相棒だが、曲作りでの貢献はアップテンポのロック・ソングのみ(デイヴィッドの初期の2枚のソロを聴けば瞭然)だし、ギタリストとしても弱い。弾きまくるハードロッカーとして、そして作曲家、またヴォーカリストとしてもWhitesnake始動の最大の推進力だったといえると思う。2枚のソロよりもWhitesnakeの最初のEPや1stアルバムの方が魅力的なのを見ても明らかだ。何といってもハードロック・テイストが加わっている。
また「Free Flight」ではバーニーがリード・ヴォーカルだし、「Lie Down」にもソロのパートがあるように、Deep Purpleでのヂヴィッドとグレン・ヒューズのようなツイン・ヴォーカルの再現を目論んだ形跡もある。このあたりからもバーニーの存在感の大きさが分かる。

バーニーはハッピーな性格で、時折イタズラな感じも漂わせつつ、いつも楽しそうにニコやかな表情を浮かべている(ステージではデイヴィッドがやや強面を狙うような感じでやっていたのとは対照的)。解雇の時も恨みつらみを引きずらないし、かなりのナイス・ガイだと思う。ちょっと太めなのが玉に傷といったところ。

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