2018年11月29日木曜日

John Lennon

1940-1980

今年もまたこの季節がやって来る。毎年12月8日前後になると思い出す。偉大なミュージシャンの死にこれほど衝撃的だったことはない。暗殺だ。
政治家でもマフィアでもない、ただのミュージシャンを暗殺するなど、あり得るだろうか。それが現実になった。本当に信じられない。

ジョンは、もちろんBeatlesの主要メンバーの一人で、ほぼ創設者兼リーダー(少なくとも初期は)だ。ジョンに憧れ影響を受けた人は世界中に数限りなくおり、私もその一人。
皮肉なことに、私とジョンの出会いはこの暗殺事件のニュースだ。小学生だった当時、私はBeatlesは名前くらいしか知らず、「外国の歌手」という認識で、その一人が殺されて衝撃的だったという周囲の反応を覚えているくらい。それと、その頃のニュースでよくかかっていたのが、なぜか「Yesterday」と「Let It Be」が多かったということ。どちらもポールの曲だが、物悲しい雰囲気と暗示的な内容が何となく事件とマッチすると判断されたのだろう。
この事件をキッカケに私はBeatlesに詳しくなっていく。

さて、言うまでもなくジョンは偉大なミュージシャンで多大な影響力を持っていたが、ジョンの偉大さとBeatlesの偉大さは必ずしも一致しないと思う。
Beatlesは社会現象で、ポピュラー・ミュージック界を変え、ロックのスタイル(演奏スタイルから作詞作曲、録音方法まで)を変え、というような、もちろんとんでもない影響力を与えたバンドなのだが、ジョンの場合はその生き方そのものにメッセージ性や考えさせるもの、影響力がある。この部分ではBeatlesの他のメンバーよりもジョンは圧倒的だといえる。

Beatlesの中期頃までは、皮肉家だったり、攻撃的だったり、ジョークがちょっとキツかったりはするものの、他のメンバーとあまり変わらなかった。しかしオノ・ヨーコと出会い、「All You Need Is Love」を歌うあたりから急速に変わっていく。それはヨーコが変えたというのではなく、もともとそういう部分があったところに、ヨーコが触媒のような働きをしたということだと私は理解している。ヨーコと出会う前から、ジョンの詞は内面をえぐるようなものが多かったし、結構赤裸裸で、傷つきやすさのようなものがあった。勢いがありカッコいいロック・ソングの「Help!」だって、曲調からは考えられないような詞だ。そもそもロックにハマったのも、「ロックはリアルで他のものはアン・リアルに見えた」ということだったので、最初から本当の自分、本当の姿、本当の姿勢やアテテュードといったものを求めていたのが分かる。

ヨーコと出会ってからは、バンドよりもより自己探求のような姿勢になり、また一方で反戦運動をしたり政治的なメッセージを語ったりするようになる。Beatlesは人気者(=アイドル)だったので、万人受けを狙い政治的な発言を慎むようにしていたが、「発言できないのならグループを去る」とまで言うようになる。
様々な反戦運動を行う中で、多くのファンを失い、敵対者すら現われ、アメリカ政府からも疎まれるようになる。一時はアメリカから国外退去になったりもし、ヨーコとも別居したりもするが、1975年に再びヨーコとくっつく。10月7日、4年に渡るアメリカ永住権を巡る裁判に勝訴。国外追放命令の破棄を勝ち取る。その連絡を受けたジョンは歓喜し、翌日臨月で入院中のヨーコに報告に行く。その日の深夜、待ち望んだ二人の間の子(ショーン)が生まれる。永住権と我が子がほぼ同時に手に入れたことになる。しかもその時に最初に交わした時のヨーコさんのセリフが凄い。「今は何時?」と聞いて12時を過ぎていることを知ると、「Happy Birthday, John」という。10月9日はジョンの誕生日だ。何てドラマチックなんだ。そしてすべてを得たジョンはショーン君を育てるために専業主夫となり、すべての音楽活動を停止するという、これまた驚きの行動に出る。
そして1980年、5歳になったショーン君に「パパはBeatlesだったの?」と聞かれたことをキッカケに音楽活動を再開し、5年ぶりにのアルバムをリリースした矢先、暗殺される・・・。波乱万丈では済まされないような激しい人生。

私はジョンから優しさとか挑戦する勇気とか正直さとか、様々なものを学んだが、最も重要なことは等身大の自分を見つめることではないかと思う。奢らず飾らず、しかしへりくだりすぎず、自分を卑下することもない。自分をよく見つめ、その自分に素直でいることが大事なのではないかと思って生きている。素直でシンプルというのは一番の強さではないかと思う。この辺りを突き詰めていくと、結局「Imagine」の世界観になっていくようで不思議だ。
人に接する時も、恐れず、相手を過大評価せず、見下さず、過小評価もしない。つまり等身大の相手を見ることが出来るようになりたいと思う。そして等身大の自分を出せるようになりたいと思う。

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