2019年4月4日木曜日

デイヴィッドを悩ませる経済事情

Whitesnakeの結成は実質1978年で、その時点でデイヴィッドは「元Deep Purple」の肩書きと2枚のソロ・アルバムを出したという実績があったが、まだDeep Purpleの印税はほとんど入って来ておらず、ソロ・アルバムのセールスはさっぱりなので、金には非常に困っていた。

ソロの制作資金はレコード会社が出しているのだが、売るためにもプロモーションをしたり、ライブ・ツアーをしたりするのだが、プロモーション周りはほんの少しだけだったり、当初はバンドがなかったのでライブも出来ず終い。本当はレコーディング・メンバーでライブをしたかったのだが、予定があったので無理だった。
Whitesnakeはソロ・アルバムのプロモーションのためのライブを行なうためのバンドとして結成されたのだ。

一言でバンドを組むと言っても実際には結構金がかかる。まず、加入させたいメンバーに声を掛け、どのくらいの給料を支払えるのか交渉をしなければならない。下手なメンバーにしてしまいダメな演奏を聞かせるハメになると、プロモーションどころか悪印象を与えることになって逆効果になる恐れもあるから大変だ。結局、実力と給料とのバランスになるあたりは中小企業の経営者のようだ。
有望なメンバーがいない場合はオーディションして選ぶことになるが、これにも金がかかる。Whitesnakeの場合、オーディションでは決まらず、結局他のメンバーのツテで芋づる式にメンバーを揃えた。バーニーの知り合いがニールで、ニールの知り合いはデイヴ・ドウルで、ドウルの知り合いがブライアン・ジョンストンという具合。

最初のメンバーはミッキー・ムーディだが、彼はソロ・アルバムでの最大の貢献者で、デイヴィッドから見ると先輩格でもある。デイヴィッドの懐事情も分かっているので、金にはうるさくなかった。Whitesnakeの最初のメンバーになるのだが、その後も他のバンドでのセッションやライブ・ツアーに参加して生計を立てていた。
デイヴィッドからしたら、業界の先輩であり、経験も豊富、しかし金にうるさくなく、スター気取りでもなく、そしてブルージーな演奏には定評があるという、この上ない人物であった。

給料を支払うのはデイヴィッドではなく、マネジメント会社だ。Whitesnakeの場合はDeep Purpleのマネジメントに属していた。デイヴィッドがソロになった時の流れのままで、Deep Purpleが解散してもマネジメントは生きているのだ。そしてマネジメント会社の収入はDeep Purple関連の収入と解散後のメンバーの活動の売り上げだ。
とはいっても、トミー・ボーリンは死んでしまったし、グレン・ヒューズはTrapezeに行ってしまったので、残るデイヴィッドとジョン・ロードとイアン・ペイスだ。(この時点でロジャー・グローバーやイアン・ギランがどうなっていたのかは不明)

80年代に入り、Whitesnakeが軌道に乗った後も経済状況は好転しない。給料は出ていたので生活費は何とかなっているが、活動がマシになってもそれ以上には好転しなかった。
やがてヒット曲「Fool For Your Loving」等を出すようになっても、それでもバンドには借金があると言われ続けて状況は何も変わらない。
多くの印税収入があるジョン・ロードとイアン・ペイスは良かったが、他のメンバーは悲惨だ。やがてデイヴィッドにもささやかながら印税収入が入るようになり、少しだけ好転するが、ミッキー、バーニー、ニールの3人には深刻な問題だった。

結局これはWhitesnakeの稼ぎが悪いのではなく、マネジメント会社が結んだ各国のレコード会社との契約のマズさと、会社の取り分の分配の問題で、各メンバーへのリターンが少なすぎるというのがそもそもの原因であった。後のコージー・パウエルやジョン・サイクスのような主張の強いメンバーがおらず、不満を抱えつつも忍耐強く活動を続けていた状況も悪い方に出ている。

結局Whitesnakeの活動がだんだん下降していくのはこの問題が一番のネックだった。モチベーションの低下だ。ヒット曲も出し、コンサートはいつも盛況だが、いつまで経っても借金があると言われる。ニンジンはなく、ひたすらムチで打たれている状況だ。
バンドが煮詰まってしまい、経済状況も好転が見込めない状況で、デイヴィッドはついに決断の時を迎える。マネジメント会社及びジョン・コレッタとの決別だ。

デイヴィッドの愛娘・ジェシカが病いに倒れた際、自分は何もしてあげられない無力さを感じたという。だが、自分のバンドの事なら何とか出来るじゃないかと悟り、行動に移す決意を固めたとデイヴィッドは語っている。

弁護士とも相談の上、バンドの活動実態がないことにするためすべての活動を停止。当然、全メンバーの給料も間もなくストップ。更に契約破棄のために高額(10億円以上!)の違約金の支払いを経て、ついに解放された。
この間にミッキーはすでに意欲をなくしバンドを離れ、バーニーとニールは生活のため他の仕事をせざるを得なかった。メンバーの気持ち的にも解散状態となってしまった。

デイヴィッドはこれを期にバンドも一新することを決意し、新しい血の導入に動く。タイミング良く長年の念願であったコージー・パウエルとメル・ギャレーの加入が決まった。バンドへの貢献が少ないと感じていた気ままなイアン・ペイスとバーニーには去ってもらうことになる。
新しいメンバーを迎えてのWhitesnakeは注目を集め、活発に活動を始める。
新たに新興レーベルだったGEFFENと契約し、以前にも増して活動に精を出すが、契約破棄にかかった高額の違約金は重くのしかかったままだった。
『Slide It In』を経て『Serpens Albus』制作時のトラブルで再びバンドがうまく機能しなくなった1986年3月いっぱいで、GEFFENから各メンバーへの給料支払いはストップ。相変わらずWhitesnakeの経済状況は最悪のままだった。

トラブルの末、クビになったジョン・サイクスは「デイヴィッドは成功を独り占めしたかったのだろう」と推測しているが、デイヴィッドの反論は「サイクスをクビにした時は1000万ドルの借金があったんだ。Is he crazy?」と言っている。サイクスは「新譜の出来が素晴らしいことは分かっていたし、成功しても驚きはしなかった。とにかく内容が良かったからね」と言っているが、それは結果論だ。デイヴィッドはどのアルバムも渾身の出来だと思いリリースしているのだから、『Serpens』だけが特別に素晴らしいとは考えていなかった。

その後も何とかアルバムの制作を続け、約1年後にリリース。
その半年後にはデイヴィッドの口座に残高があったというエピソードは有名な話し。つまり借金をすべて返済してもまだお釣りが来るほどだったということ。地獄から天国に一気に好転した瞬間だ。

また別のエピソードとして、『Serpens Albus』の完成版をテープに入れて初めて他の場所(飛行機の機内だった)で聴いた際、デイヴィッドがヒドイ鼻風邪にかかっていて、正常な聴覚でなかったため、実際の音より随分こもって聴こえたという。それを聴いたデイヴィッドは「終わった」と呟き、「自分のキャリアはすべて終わった」と感じたという。
ここで分かるのは、風邪のヒドさではなく、そこまでデイヴィッドは追い詰められていたということ。もし、次のアルバムを外したらWhitesnakeを解散させ、自己破産するしかない、そう考えていたのではないろうかと思う。

初期のWhitesnakeファンには、「バンドはデイヴィッドの独裁度がどんどん増していって、それにつれてバンド本来の味が失われていってしまった」と感じる人が多いようだが、それはデイヴィッドが一人で最悪の経済状況と戦い続け、何とか好転させようと頑張っていた苦闘の結果であり、歴史の一番最初はやりたいことがやれていたが、その後はずっと売れるための努力をし続けて来たのだからバンドの色も変わるのは当然だろうと思う。
結局Whitesnakeの歴史はデイヴィッドの苦闘の歴史でもある。メンバー・チェンジも経済状況から来ているものがほとんどだ。例えば、コージー・パウエルには他のメンバーの倍の給料を払っていたが、結局はそれは他のメンバーとの軋轢につながってしまうのは必然だった。スターであるコージーを入れて派手なソロがWhitesnakeのライブの見せ場の一つにもなったが、そういう事情もあるのだ。つまり、「それだけ払っているんだから、バンドへの貢献はたっぷりとしてもらわなくてはね」という具合だ。

「独裁者・デイヴィッドがバンドを我が物として扱うようになってしまう歴史」という印象は、それだけデイヴィッドが一人で重荷を必死で背負っていたという裏返しなので、見方を改めてもらいたい。
初期の曲が好きなファン(私もその一人だが)は、だんだんブルージーさが減退し、ポップさやメタル度が上がっていき、やがてターザン・ヴォーカルの見せ物になってしまったと嘆くが、初期の曲では稼げず、『Serpens』から『Slip Of The Tongue』にかけて最高に稼いだという事実を見ないわけにはいかない。マネジメント会社やジョン・コレッタがもう少しマシな仕事をしていればバンドの歴史は変わったと思うが、今更言っても歴史は変わらない。残念ながら。