2018年10月30日火曜日

『Serpens Albus』30周年記念盤

ちょうど1年くらい前に『Serpens Albus』の30周年記念スーパー・デラックス・エディションが発売された。CDとDVDの5枚組というまさにデラックス盤だ。
これについて、結構ボロクソに言っている意見もネット上で散見されるが、そについての考えを書いておこうと思う。

否定的な意見はだいたい「金儲け主義だ」というのと「リマスターやリミックスが良くない」というもの、「オマケ的なライブやエボリューションズが良くない」というものに分けられると思うが、少しそれに反論してみる。

「金儲け主義だ」
まぁ、これは仕方がない。ビジネスだし、発売する以上は金儲けだ。「過去の遺産にゴミのような付録をつけて2度3度と金をむしり取ろうとするなんて悪質だ」という意見も分かる。
しかし、嫌なら買わないという選択肢もあるのだから、ちょっと筋違いだ。私は大ファンなので(ちょっと痛い出費ではあるが)喜んで期待して買った口だ。買った結果「買わなきゃ良かった」とか「ガッカリ」ということもあり得るが、それでファンをやめたりするのも自由だ。デイヴィッドとしても、過去の栄光に傷をつけてしまうリスクもあるわけだから、お互い様だろう。
私はWhitesnakeの大ファンなので何も気にならないが、まあまあのファンとかそれなりのファンだと微妙なセットだとは思う。私も他のバンドのそういう記念盤を聴いてみたい時があるが、高すぎるし、そもそもオリジナル盤は持っているし、ということで買わない場合も多々ある。そのあたりは個人の判断の問題だ。
まぁ、買った人は批判意見や文句を言う権利もあるので、「つまらなかった」という人はそれを口にすれば良いと思う。
だから、「金儲け主義」という意見には私は特に意見はない。「そう思う人もいる」ということだ。

「リマスターやリミックスが良くない」
1枚目は当時のイギリス盤のリマスター。4枚目には4曲のリミックスが入っている。「高音が強すぎる」とか「ギターが引っ込んでしまった」とか「当時の迫力や感動といったものが感じられない」というような様々な意見があるが、これも意見を持つこと自体は自由なので、感じたままで良いと思う。
一つ忘れてはならないことは、「リマスター」といえど、当時の音を最新鋭の技術でキレイにしたものではない、ということ。
「リマスター」とは「マスタリングをし直すこと」だが、イコール「音をキレイにする」ということではない。「キレイにする」というのはあまりに漠然としている。もちろんノイズを出来うる限り除去したりはするが、その他、例えば高音が足りないと感じれば高音を持ち上げたり、同様に低音を持ち上げたりもする。当然その判断は現代人の耳で行う。現在の技術レベルや音の流行りに照らしてその人が「最高」と思えるものを作る。だから当然、当時のものとは違うものになる。それが自分の好みのポイントと合致すれば「音が凄くなっている!」ということになるし、好みとちょっと違う場合は「昔の方が良かった」となる。これは当たり前なのだ。更に言えば、「昔の方が良かった」と思う人は昔のCDを聴けば良い、ということだ。

「リミックス」はミックスもやり直すので、もう少し大胆な作業になる。これは聴く前からオリジナル音源とは違うことを期待しなければならない。定位や聴こえない楽器の音が聴こえたりすることもある。それを楽しみにするものだ。「昔と違う」というのはそもそも筋違いだ。

私はオリジナル尊重派だ。だから今聴くとちょっと変な感じがしたとしても(古い時代のものはそういうのが多い。Whitesnakeでは特にないが)、当時はそういう音を聴いていたということで、それが聴きたい。とはいえ、レコードの時代の音をCDや音楽プレーヤーで聴いている時点で収録方法が違うし、厳密には同じものではない。
「音圧が上がった」というのも、少し勘違いしている人もいるように思うが、音圧が上がると「音に迫力が出る」というのとイコールのようで、そうではない。デジタル時代の現代ではほぼイコールだが、アナログ時代の遺産については単に音圧を上げれば良くなるというわけでもない。音圧を上げるというのは、「音が割れないようにしつつ全体的に信号量を最大限まで増やす」ということで、飛び抜けて大きな音が一つでもあれば全体を上げられないことになってしまうから、その音についてはリミッターをかけて上がらないようにするということ。CDに収録出来るダイナミクスは一定だから、その範囲にうまく収まるようにするということだ。だから、平均的に迫力は出ているけれど、異端的に飛び抜けた音は平均化されてしまうということ。
とにかく、私はリミックスやリマスターよりオリジナルという考えだ。

だが、こういう企画は昔と違う音だからこそ楽しめると考える。同じだったら買う意味がない。それはガッカリする場合もあるが、逆にオリジナルの良さを再発見する場合もある。今回の場合は、私は、音はクリアになった分、オリジナルはリバーヴが強すぎて音がこもりがちという時代性が出ていると思うが、それを素晴らしいと思って聴いていたんだなと再確認した。昔も「リバーヴが強すぎで何をやっているのかわからない」とか「ギターを重ね過ぎ」という批判があった。今回の方がスッキリしていて、それこそ「どちらかお好みの方をどうぞ」ということだろうと思う。

「オマケ的なライブやエボリューションズが良くない」
2枚目はライブ、3枚目はエボリューションと題したスタジオ・アウト・テイクス。
まずはライブについて。これは代々木でのライブ音源で、もちろんもともとライブ盤として発売する予定もなかったもので、Bootlegでは結構有名だったものだ。なので、ライブ盤として作られることを想定したものよりレベルが低いのは当たり前だ。当時のメンバーは誰もいないので、オ-バーダビングや修正も出来ないので尚更だ。ライブ盤というより、「2度と帰らない当時の空気感を少しだけタイムマシンで覗いてみよう」という主旨になるはず。これは90年のヴァイ期のものや、スーパーロック84の時のものも同様だ。新たに歓声をかぶせる必要は私はないと思うが、公式盤としてリリースする以上は最低限の体裁は整えないといけないということだ。音がスカスカだったり、声がでていなかったり、演奏が粗かったりしても、私は何も気にならないが、気にする人も当然いるので、歓声も「少ないよね」「あまり盛り上がっていないようだ」と思う人もいるかもしれない、という判断だ。
また、ところどころ実際の音をカットしてあるが、フルで聴きたい人はBootlegを聴くしかないでしょう。カットしているのは、私はあまり重要ではない部分だと思うので問題ないと思う。ある程度コンパクトにした方が良いというのも私は頷けるが・・・。 一般的なライブ・アルバムの「本当はLive In Studio」というようなものよりよほど興味深いと思う。

エボーリューションズについては、なぜ「エボリューション(進化)」というタイトルなのかは疑問が残る。まあ、初期の音源からだんだん進化していくからだろうが、どちらかというと「先祖返り」とか「誕生前」というような意味の方がピッタリ来ると思う。
しかし「デイヴィッドに合わせてサイクスがギターを弾かされている」というよな見方はまったく違う。ああやって曲を仕上げていくものだし、サイクスが弾かされているのではなく、曲作りにおいては基本的には50/50だ。曲によってデイヴィッド色が強いもの、サイクス色の強いものとあるだろうが、トータルではだいたい50/50になる。
あの時点での「ギターアレンジはこまで出来ています」という貴重な資料と見るべきだ。ヴォーカル・ラインや歌詞もまた然りで、ボツになったもの、繰り返しが増えたもの減ったもの、新しいパートが追加されたものなどが分かり非常に興味深い。
例えば「Still Of The Night」の場合、ギター・リフの固まりのような曲だが、デイヴィッドのインプットがかなり多いんだなということが分かる。休符の入れ方も違うし、初期の時点から休符の多い曲を狙っていたことも分かる。
出来れば初期のデモをそのまま聴きたいところだが、そうした場合、それこそクズ呼ばわりする人が続出すること必至なので、こうなったのだろう。そういえば昔に『Beatles Anthology』シリーズが出た時も「栄光の伝説に傷をつけるゴミの集まり」とか「手品の種明かし」という批判が沢山あった。しかし私は是非「手品の種明かし」を見たい。見たからといって、曲の魅力が下がることはないと思う。ファンでもない人に聴かせれば「何だこりゃ」となるだろうが、こういうボックス・セットを買うのはコアなファンと相場は決まっているものだ。

それから、このだんだん進化していく「エボリューション」というアイディアもおそらく『Beatles Anthology』の「Strawberry Fields」から来ているのだろうと思う。

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