2019年4月4日木曜日

デイヴィッドを悩ませる経済事情

Whitesnakeの結成は実質1978年で、その時点でデイヴィッドは「元Deep Purple」の肩書きと2枚のソロ・アルバムを出したという実績があったが、まだDeep Purpleの印税はほとんど入って来ておらず、ソロ・アルバムのセールスはさっぱりなので、金には非常に困っていた。

ソロの制作資金はレコード会社が出しているのだが、売るためにもプロモーションをしたり、ライブ・ツアーをしたりするのだが、プロモーション周りはほんの少しだけだったり、当初はバンドがなかったのでライブも出来ず終い。本当はレコーディング・メンバーでライブをしたかったのだが、予定があったので無理だった。
Whitesnakeはソロ・アルバムのプロモーションのためのライブを行なうためのバンドとして結成されたのだ。

一言でバンドを組むと言っても実際には結構金がかかる。まず、加入させたいメンバーに声を掛け、どのくらいの給料を支払えるのか交渉をしなければならない。下手なメンバーにしてしまいダメな演奏を聞かせるハメになると、プロモーションどころか悪印象を与えることになって逆効果になる恐れもあるから大変だ。結局、実力と給料とのバランスになるあたりは中小企業の経営者のようだ。
有望なメンバーがいない場合はオーディションして選ぶことになるが、これにも金がかかる。Whitesnakeの場合、オーディションでは決まらず、結局他のメンバーのツテで芋づる式にメンバーを揃えた。バーニーの知り合いがニールで、ニールの知り合いはデイヴ・ドウルで、ドウルの知り合いがブライアン・ジョンストンという具合。

最初のメンバーはミッキー・ムーディだが、彼はソロ・アルバムでの最大の貢献者で、デイヴィッドから見ると先輩格でもある。デイヴィッドの懐事情も分かっているので、金にはうるさくなかった。Whitesnakeの最初のメンバーになるのだが、その後も他のバンドでのセッションやライブ・ツアーに参加して生計を立てていた。
デイヴィッドからしたら、業界の先輩であり、経験も豊富、しかし金にうるさくなく、スター気取りでもなく、そしてブルージーな演奏には定評があるという、この上ない人物であった。

給料を支払うのはデイヴィッドではなく、マネジメント会社だ。Whitesnakeの場合はDeep Purpleのマネジメントに属していた。デイヴィッドがソロになった時の流れのままで、Deep Purpleが解散してもマネジメントは生きているのだ。そしてマネジメント会社の収入はDeep Purple関連の収入と解散後のメンバーの活動の売り上げだ。
とはいっても、トミー・ボーリンは死んでしまったし、グレン・ヒューズはTrapezeに行ってしまったので、残るデイヴィッドとジョン・ロードとイアン・ペイスだ。(この時点でロジャー・グローバーやイアン・ギランがどうなっていたのかは不明)

80年代に入り、Whitesnakeが軌道に乗った後も経済状況は好転しない。給料は出ていたので生活費は何とかなっているが、活動がマシになってもそれ以上には好転しなかった。
やがてヒット曲「Fool For Your Loving」等を出すようになっても、それでもバンドには借金があると言われ続けて状況は何も変わらない。
多くの印税収入があるジョン・ロードとイアン・ペイスは良かったが、他のメンバーは悲惨だ。やがてデイヴィッドにもささやかながら印税収入が入るようになり、少しだけ好転するが、ミッキー、バーニー、ニールの3人には深刻な問題だった。

結局これはWhitesnakeの稼ぎが悪いのではなく、マネジメント会社が結んだ各国のレコード会社との契約のマズさと、会社の取り分の分配の問題で、各メンバーへのリターンが少なすぎるというのがそもそもの原因であった。後のコージー・パウエルやジョン・サイクスのような主張の強いメンバーがおらず、不満を抱えつつも忍耐強く活動を続けていた状況も悪い方に出ている。

結局Whitesnakeの活動がだんだん下降していくのはこの問題が一番のネックだった。モチベーションの低下だ。ヒット曲も出し、コンサートはいつも盛況だが、いつまで経っても借金があると言われる。ニンジンはなく、ひたすらムチで打たれている状況だ。
バンドが煮詰まってしまい、経済状況も好転が見込めない状況で、デイヴィッドはついに決断の時を迎える。マネジメント会社及びジョン・コレッタとの決別だ。

デイヴィッドの愛娘・ジェシカが病いに倒れた際、自分は何もしてあげられない無力さを感じたという。だが、自分のバンドの事なら何とか出来るじゃないかと悟り、行動に移す決意を固めたとデイヴィッドは語っている。

弁護士とも相談の上、バンドの活動実態がないことにするためすべての活動を停止。当然、全メンバーの給料も間もなくストップ。更に契約破棄のために高額(10億円以上!)の違約金の支払いを経て、ついに解放された。
この間にミッキーはすでに意欲をなくしバンドを離れ、バーニーとニールは生活のため他の仕事をせざるを得なかった。メンバーの気持ち的にも解散状態となってしまった。

デイヴィッドはこれを期にバンドも一新することを決意し、新しい血の導入に動く。タイミング良く長年の念願であったコージー・パウエルとメル・ギャレーの加入が決まった。バンドへの貢献が少ないと感じていた気ままなイアン・ペイスとバーニーには去ってもらうことになる。
新しいメンバーを迎えてのWhitesnakeは注目を集め、活発に活動を始める。
新たに新興レーベルだったGEFFENと契約し、以前にも増して活動に精を出すが、契約破棄にかかった高額の違約金は重くのしかかったままだった。
『Slide It In』を経て『Serpens Albus』制作時のトラブルで再びバンドがうまく機能しなくなった1986年3月いっぱいで、GEFFENから各メンバーへの給料支払いはストップ。相変わらずWhitesnakeの経済状況は最悪のままだった。

トラブルの末、クビになったジョン・サイクスは「デイヴィッドは成功を独り占めしたかったのだろう」と推測しているが、デイヴィッドの反論は「サイクスをクビにした時は1000万ドルの借金があったんだ。Is he crazy?」と言っている。サイクスは「新譜の出来が素晴らしいことは分かっていたし、成功しても驚きはしなかった。とにかく内容が良かったからね」と言っているが、それは結果論だ。デイヴィッドはどのアルバムも渾身の出来だと思いリリースしているのだから、『Serpens』だけが特別に素晴らしいとは考えていなかった。

その後も何とかアルバムの制作を続け、約1年後にリリース。
その半年後にはデイヴィッドの口座に残高があったというエピソードは有名な話し。つまり借金をすべて返済してもまだお釣りが来るほどだったということ。地獄から天国に一気に好転した瞬間だ。

また別のエピソードとして、『Serpens Albus』の完成版をテープに入れて初めて他の場所(飛行機の機内だった)で聴いた際、デイヴィッドがヒドイ鼻風邪にかかっていて、正常な聴覚でなかったため、実際の音より随分こもって聴こえたという。それを聴いたデイヴィッドは「終わった」と呟き、「自分のキャリアはすべて終わった」と感じたという。
ここで分かるのは、風邪のヒドさではなく、そこまでデイヴィッドは追い詰められていたということ。もし、次のアルバムを外したらWhitesnakeを解散させ、自己破産するしかない、そう考えていたのではないろうかと思う。

初期のWhitesnakeファンには、「バンドはデイヴィッドの独裁度がどんどん増していって、それにつれてバンド本来の味が失われていってしまった」と感じる人が多いようだが、それはデイヴィッドが一人で最悪の経済状況と戦い続け、何とか好転させようと頑張っていた苦闘の結果であり、歴史の一番最初はやりたいことがやれていたが、その後はずっと売れるための努力をし続けて来たのだからバンドの色も変わるのは当然だろうと思う。
結局Whitesnakeの歴史はデイヴィッドの苦闘の歴史でもある。メンバー・チェンジも経済状況から来ているものがほとんどだ。例えば、コージー・パウエルには他のメンバーの倍の給料を払っていたが、結局はそれは他のメンバーとの軋轢につながってしまうのは必然だった。スターであるコージーを入れて派手なソロがWhitesnakeのライブの見せ場の一つにもなったが、そういう事情もあるのだ。つまり、「それだけ払っているんだから、バンドへの貢献はたっぷりとしてもらわなくてはね」という具合だ。

「独裁者・デイヴィッドがバンドを我が物として扱うようになってしまう歴史」という印象は、それだけデイヴィッドが一人で重荷を必死で背負っていたという裏返しなので、見方を改めてもらいたい。
初期の曲が好きなファン(私もその一人だが)は、だんだんブルージーさが減退し、ポップさやメタル度が上がっていき、やがてターザン・ヴォーカルの見せ物になってしまったと嘆くが、初期の曲では稼げず、『Serpens』から『Slip Of The Tongue』にかけて最高に稼いだという事実を見ないわけにはいかない。マネジメント会社やジョン・コレッタがもう少しマシな仕事をしていればバンドの歴史は変わったと思うが、今更言っても歴史は変わらない。残念ながら。

2019年3月5日火曜日

ゴキブリ!?

「Beatles」というバンド名。一般的には「カブト虫」の「beetle」の綴りとロックのリズムを表わす「beat」を混ぜて作ったと言われている。
しかし実際はもっと奥の深い別の意味合いがあるようだ。

まず、「beetle」は「カブト虫」というのが勘違いだ。カブト虫を含むかなり広い意味での昆虫を指す。テントウ虫もbeetleに入るし、日本で言う「カブト虫」はアメリカでは「rhinoceros beetle」と言うし、「jewel beetle」というと「タマムシ」だし、「black beetle」は「ゴキブリ」を指す。「cockroach」もゴキブリだが、「black beetle」は決して「黒いカブト虫」ではない。

Beatlesのバンド名の歴史を見ていこう。
最初はジョン・レノンの作ったスキッフル・バンドで、「Quarry Men」からその歴史は始まる。リバプールのグラマースクール(現在はほとんど廃止されているが、当時は中学校に相当した)であるQuarry Bank校に通っていたジョンが、校名をそのままバンド名に使った。直訳で「クオーリー校の男たち」ともとれるが、「quarry」は「石切り場」という意味もあるので、「石」=「ロック(岩)」で「ロックの男たち」という意味にもとれる。
ここで注目すべきは初バンドから、バンド名をダブル・ミーニングにしているということ。
その後、Quarry Menにはポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンも加入し、音楽的レベルを上げていく。ポールやジョージはQuarry Bank校の生徒ではないが、それでも「Quarry Men」と名乗るのは、やはり「ロック男」という意味合いがあるからだろう。

ジョンは1958年にQuarry Bankを卒業し、9月にLiverpool College of Artに進学。当然、バンド名も実態に合わなくなる。これと前後して、3人だけになったバンドは名前をJaypage Threeと変えている(Beatles研究家のマーク・ルイソンの本による)。「Jaypage」という造語はジョンが考えたもので、3人の名前をモジっている(「ge」はGeorgeの「ge」)のだが、「Jaybird(かけす)」にかけており、ここでもダブル・ミーニングを意識しているのが分かる。ただ3人の名前をつなげた「J.P.G.」とか「L.M.H.」ではつまらないということなのだろう。

ジョンはLiverpool College of Artで知り合った芸術家肌のスチュアート・サトクリフと仲良くなり、ポールとはやや距離を置くようになる。やがてスチュをバンドに加入させると、3人の名前であったバンド名はまたも実態に合わなくなり、一時的に「Rainbows」を名乗り、やがて「Jonny & The Moondogs」を経て、「Silver Beetles」へと変わる。
「Jonny」や「Silver」はいずれもジョンを表わし、当時は「リーダーの名前+バンド名」というスタイルが主流だったための発想からのネーミングだ。「Silver」がなぜジョンを表わすかというと、ジョンの好きな冒険物語の『宝島』に出て来る悪役のボスの名前が「John Silver」だからだ。

こうして歴代バンド名を見てみると、「Rainbows」というのだけ例外的に明るく華やかなイメージがあるが、それ以外は華やかにはほど遠い結構ダークな雰囲気だ。
「岩のイメージ」のQuarry Men、上品とはほど遠いカラスの仲間の「カケス」のJaypage Three、月に吠えるMoondogsだ。
「silver beetle」という単語が何を指すか不明だが、「カブト虫」ではなく良くてもせいぜい「カナブン」で、決して「虫の王様」のような立派な雰囲気の名前ではない。それどころか「暗闇でうごめく怪しげな虫」というイメージなのだ。「ゴキブリ」に近い。
実際、「Beetles」というのはあまりに嫌悪される名前だということで「silver」をつけることで「黒」のイメージから離れ、「ゴキブリ」っぽさを薄めたということなのだろう。

バンド名「Silver Beetles」は、その後、メンバー全員が主役だという意味を込めて「Silver」を外し、その際にスペルを少し変えて「Beatles」になった。
後に世界制覇の華々しい活躍をするので、「虫の王様」的なネーミングがピッタリに思うが、全然そんなことはなく、もっとダークな雰囲気だったのだ。
実際、後年ジョン自身がバンド名の意味合いを訪ねられ「言葉だけを聞くとモゾモゾ動く虫をイメージするだろ、でも字を見るとビートミュージックというわけさ」と答えている。

彼らが大ファンで、バンド名のモデルにしたことでも有名なのが「Buddy Holly & The Crickets」で、「cricket」もまた、コオロギで、これも「美声で鳴く秋の虫」のイメージではなく「ゴキブリに近い肉食の黒い虫」のイメージだ。
80年代LAメタルに「RATT」というバンドがいたが、意味は「ドブネズミ」だ。その他にもダークなイメージという意味では、YardbirdsとかBlack Sabbath、The Clashとか沢山ある。男らしいバンド名には、明るく軟弱なイメージだけは避けたいと思うものだろう。(その逆をいく「Queen」とか「KISS」というようなネーミングや性的な「Sex Pistols」「AC/DC」「Whitesnake」等も面白いが)

2019年2月15日金曜日

Janis Joplin

1943-1970

テキサス出身のブルーズ・シンガー。「ブルーズの女王」だ。
破天荒な生き方や雰囲気・イメージだが、実際には知的でシャイな人物だったという。ロック界に意外にこういうタイプの人物は多くて、無茶苦茶な部分だけイメージ先行で、実際はまったくそんなタイプではないというのが結構多い。

彼女の凄さの一つとして、まず声そのものが特徴的だ。ハスキー気味な声で倍音の多い太い声質だ。太くて強い声、弱々しく優しい声、艶のある声、様々使い分けられる。
そういえば彼女以降、「優れたシンガーの条件」とまでは言えないにしても、重要な要素の一つに「ハスキー」というのが加わったように思う。
それから、技術的にもレベルが高い。ブルーズ・シンガーならではの、ブルーノートの使い方など最高だ。

しかし、上記よりも私が圧倒的に凄いと思っているのは、「女性らしさ」というか「母性」だ。これは当然ながら男性シンガーには真似出来ない。特別美人というわけでもなく、肌などは薬物の影響か結構ボロボロだ。それでも深い愛のようなものを感じさせる。「いい女」というだけではなく、「母」なのだ。
特に「Piece Of My Heart」や「Cry Baby」のような曲では圧倒的な包容力で包み込むような優しさを感じさせるし、大きな肝っ玉母さんのようだ。「泣いてもいいんだ、泣きなさい」みたいなことを言われると男は結構弱い。
その他では、「Summertime」のような繊細さもまた別の女性っぽさを感じさせるし、「Half Moon」のような頑張りや健気さを感じさせるものもある。
そこにはとても魅力的な女性の姿がある。

ところがそんな素晴らしい女性が、孤独の中で27歳で亡くなってしまう。死因はヘロインの過剰摂取ということになっていたが、その前に疎外感・孤独感に包まれていたという状況があり、だからこそ慰めるためにヘロインを使用し、使用法を間違えてしまったということだ。とても残念だ。直前の同窓会での寂しそうな写真を見たことがある。

それで思い出したが、1979年の映画で『Rose』だ。ジャニスをモデルにした映画で、ベット・ミドラーが主演したものだ。あくまでモデルにした架空の物語だが、主人公・ローズが酒とドラッグに溺れながら歌い続ける雰囲気はモロにジャニスだ。ジャニスを知っている者には涙を誘う。ミドラーの歌唱もパワフルで素晴らしいので、機会があったら是非見てみてほしい。

2019年1月18日金曜日

Beatlesはどこが凄いのか?

Beatlesはどこが凄いのか?ズバリ答えるのはかなり難しい。凄い事実や記録はいくらでも思いつくが、一つか二つに絞るのは大変だ。
それでも無理に絞ってみよう。色々考えてみた。

一つだけに言うなら「新鮮な風と、エネルギーをもたらした」ということではないかと思う。
時代背景を考えると、Beatles全盛期は第二次世界大戦終戦から20年後。社会の混乱から復興し、上り調子になっている時代だ。古い時代から新しい時代へと変革していくまっただ中にBeatlesは登場した。そして新しいスタイルを次々と確立して、新しい時代・世代を体現して見せた。それで新しい世代だと認識した若者が色々なムーブメント(モッズとかヒッピーとか)を起こしたり、新しい感覚を持って次の時代に向かった。
これはBeatlesの功績というより、そういう時代だったからこそ出たもので、それに最高にうまく乗ったのがBeatlesだったということなのだと思う。Beatlesがいなくても変わりの誰かが時代の波に乗ったに違いないけれど、現実に時代の象徴となれたのはBeatlesだ。

「新鮮な風」を吹かすということは、前例を否定することだ。そして「こういうのもアリなんだ!」と気付かせ、人々に前進する勇気を与えることだ。それをBeatlesがやった。「新しいことをやれよ」なんて一言も言わない。ただ、常識に捕われずに良いと思うことをやっただけだろう。そのスタイル自体が新しかった。

例えば、曲を自作自演する。現代では当たり前で、そもそもアーティストはそういうものと思っているが、当時は違っていた。作曲家の先生に曲を書いてもらい、作詞家、編曲家の先生のお世話になるというのが常識的順序だった。Beatlesの場合もデビュー作「Love Me Do」が自作の曲でそこそこのヒットを出したので、2作目で勝負をかけるべく、プロの作曲家作の曲を用意した。しかし、その曲(「How Do You Do It」)を蹴って(新人のクセに)、2作目も自作の曲をリリース。しかしこれが大ヒット。痛快だ。
以来、自作曲を出すのは当たり前となり、他バンドにも影響を与える。例えばRollong Stonesは作曲が苦手(彼らのデビュー2作目はBeatlesの曲だ!)だったが、それではいかんとミック・ジャガーとキース・リチャーズを缶詰状態にして曲が出来るまでは外に出さないという荒技で作曲させたりした。60年代後期から70年代には「シンガー・ソング・ライター」という言葉が生まれ、それから20年以上も使われる言葉となったが、これはただの「シンガー」ではなく「ソング・ライター」でもあるぞというアピールの表われだ。そこで、一般に「歌手」とか「楽団」「バンド」という呼び方から現代のように「アーティスト」と呼ばれるようになる。

これは自作自演だけでなく、曲の内容も「恋の歌」から、何らかのメッセージ性のある歌など、内容の濃いものに変化したからで、これもやはりBeatlesが最初だ。自分で曲を作るということに加え、内容も変えてしまう。「そんな内容では売れないぞ」とオドシをかけられただろうが、デビューから数年で絶対的な存在になったため、そこからは自由なことが出来たからこそだ。
例えば「Help!」というカッコいいアップ・テンポのロック・ソングでは、曲の雰囲気とは裏腹に「現在の自分たちの環境から抜け出したい。助けてくれ」という、悲痛な、ある意味皮肉な感じの内容になっていて、まったく売れ線狙いとは言えない。「In My Life」は「Strawberry Fields Forever」では幼少期の記憶が歌われているし、「All You Need Is Love」では「男女間の恋」ではなく「人類愛」を歌っている(ここまでいずれもジョンの曲)。「Taxman」や「Piggies」のように政治的な歌もある(この2曲はジョージの曲)、とにかく一般的ウケしそうな恋の歌ばかりではない。(もちろん恋の歌も沢山ある)
メッセージ性があるから、もはや「歌手」というより「アーティスト」ということになった。

演奏スタイルも新しく、それまでは普通、バンド名はリーダーの名前になる。エルビスやチャック・ベリー等はそのまま個人名だし、Bill Haley & The Commetsのように、シンガーとバック・バンドの形をとるのが普通だった。バンド名だけの場合はVenturesのように歌がない、インストゥルメンタル・バンドを指していた。
Beatlesの場合も、当初はジョンをリード・シンガーにして、Johnny & The Moondogsと名乗っていた時代もあったが、一人をフューチャーするのはやめになった。以降、個人名でなくバンド名だけの例はいくらでもあり、当たり前となった。

このようにBeatlesが吹かせた「新鮮な風」は沢山あって、上記以外にもいくらでもある。演奏スタイル、録音技術のような音楽的なことから、映画やファッション、発言に至るまで様々だ。曲のパターンやコード進行など、「すべてBeatlesがやってしまったことの焼き直しにすぎない」という話しさえあるくらいだ。
そして何よりこの「新鮮な風」で得た勇気とエネルギーから、フラワー・ムーブメントやベトナム戦争への反対運動のような様々な動きにつながっていくことになる。まさに「時代の象徴」「時代の申し子」のような存在だ。時代の申し子になれたことが偉大だというべきか。
だから、もし他の時代にジョンとポールがいて出会っても、いや、ジョン以上、ポール以上のミュージシャンがバンドを組んでもBeatlesにはなれないということにもなる。ジョンやポールが優れた偉大なミュージシャンであることは間違いないが、時代の流れにピッタリとハマったことが一番凄いことだし、奇跡的な出来事だといえる。

2018年12月19日水曜日

Jimi Hendrix

1942-1970

ロック界最高峰のギタリストの一人だ。亡くなって随分時が経ったので知らない人も多いかもしれないが、ギターを志す者なら触れておいて絶対に損はない。あえて1曲だけというならやはり「Little Wing」になろうが、彼のギターから学ぶものは非常に多い。

Beatlesもそうだが、次の時代の標準・常識になってしまったものは、後代からすると当時のインパクトがなかなか分かりにくい。「どうしてそんなに評価されてるの?別に普通じゃん」みたいな感想になるのは、その「普通じゃん」というセリフ自体が既にブッ飛んでいることに気がつかない。私でもあなたでも、世界で常識と呼べる新しいものを作り出すなど、ほぼ不可能。普通と思うことを作り出したから凄いということだ。

ジミが何を作り出したか?
それは時代背景と密接に関係している。その少し前、少し後を見ればすぐに分かる。
例えば60年代中期の王者・BeatlesやStonesの音作りと、70年代中期の王者・ZeppelinやPurple、Sabbathといったバンドの音作り。特に決定的に違うのはギターだ。60年代のギターの使い方のメインはリズム・ギターでコード弾きがメイン。アコースティック・ギターの延長上にある発想だ。70年代になると、1音や2音でのリフやベースと同様のルート弾き、全音符で伸ばす、1度5度奏法等。60年代の発想ではかなり薄っぺらく存在感のないギターになりそうなものだが、70年代はそうはならない。
一番違うのはギター・アンプの性能だ。大音量で歪んだ存在感のある音で弾く。これが一番違う。

このアンプの発展の恩恵を得た最初の一人がジミというわけだ。
同時代で少し先輩格(年齢はジミが3つ上)のエリック・クラプトンとも比較されがちだ。クラプトンも大音量で弾ける最初期のギタリストだが、「歌うように弾く」と形容された。つまり特徴的なチョーキングやビブラートを形容しているのだが、これもアンプの性能向上の賜物だ。
そしてジミになるとクラプトン以上にギターを歌わせる。というか、クラプトンがギターを歌わせるのは、主にソロでのビブラートによるものだが、ジミの場合は歌わせるだけでなく、唸りを上げさせ悲鳴を上げさせ、炎を上げさせる(これは奏法ではなくパフォーマンスだが)。とにかく何でもありなのだ。こうなると当時は品がないと批判もされたし、性的すぎるという批判もあった。そのあたりがクラプトンとの違いになってくる。
伝説ともなっているウッドストックでの「Star Spangled Banner」の演奏。メロディの合間にベトナム戦争を想起させる爆撃や爆発の音をギターで表現しているのも、歌わせる以上のプレイの好例だ。
これは主にアーミングによるものだが、他にもハンド・ビブラートやワウのプレイなど、かなり多彩だ。

そして「Little Wing」だ。この曲ではバッキングでも歌っている。これは凄い。「ギターで歌えるクラプトン」にもないものだ。
コード弾き+オブリガードというのでもなく、両者が混ざっている状態。こんなプレイをやるのは誰もいなかったし、その後も意識してジミの真似をする以外はあまり多くはない。それほど独特のプレイだ。コードを追いつつ、崩しつつ、ちょっとしたフレーウを入れつつ、しかもヴォーカルもとる。天才だ!

そんなジミの早すぎる死。結構謎めいているが、しかし、この時に死ななくてもこの時代のドラッグが蔓延している中から生還するのは厳しかったかもしれない。
もし生き延びていたらどんなプレイを聴かせてくれていただろう?ジャズにいったのでは?とか、ベックのようにフュージョン寄りになったはずと色々な説があるが、今となっては謎のまま。もう数年でもいいから色々聴かせてほしかったと今さらながら失ったものの大きさを想う・・・。

2018年12月14日金曜日

カボチャ軍団・Helloween

友達の影響で初期の頃から聴いている。最初は早いテンポとアホみたいにヒステリックな高音ボーカルに「バカじゃね?」という感じだったが、怖いものみたさで聴いているうちにすっかりハマってしまった。
今聴けば、それほど強烈・過激な感じでもないし、無茶苦茶なボーカルに聴こえたものだが、かなりメロディックでポップだ。そしてそれこそがHelloweenの魅力だ。早くて激烈なメタルの雰囲気だが、ポップで分かりやすいボーカル。ギターも過激な雰囲気を漂わせながら、実際はかなり分かりやすく、ツイン・ギターは劇的でもある。

初めてHelloweenを知ったのは1986年。「Ride The Sky」を筆頭に、「Starlight」「Gurdians」「Judas」等、お気に入り曲はいくつもあった。海賊版のライブ・ビデオも手に入れカイ・ハンセンのカリスマ性に魅かれもした。ギター初心者だったが、早い16分音符のピッキング練習をたくさんした。

87年には新メンバーのマイケル・キスクを入れて今や伝説の『Keeper of The Seven Keys Part 1』をリリース。初めて聴いた時は「ソフトになったし、ボーカルはカイの方が良いなぁ」といった感じだった。キスクは高音も楽々出すが、カイはキツそうな分、ヒステリックというか狂気じみた感じに聴こえ、それも魅力だったからだ。曲はより分かりやすくなり、それがソフトになったと印象づける原因だった。
しかし、聴けば聴くほど気に入り、結局はHelloweenのベスト・アルバムだと今でも思っている。気に入った最初の要因は、ギターだ。前作までより断然分離が良くなったので、ツイン・ハーモニーのソロをコピーするのが容易になった。特に分かりやすい「I'm Alive」や「Halloween」はコピーしてCDに合わせて弾いたものだ。(当時のコピーは間違っていたが)
現在は全曲気に入っているが、当時は上記2曲と、「Twilight Of The Gods」「A Tale That Wasn't Right」がお気に入りだった。意外にも(?)「Future World」はそれほど好きではなかった。

続く88年の『Part 2』もなかなかで、好き度はやや『Part 1』が上だが、甲乙つけがたく素晴らしい出来だった。当時にお気に入りだった曲は「Keeper of the Seven Keys」「March of Time」「We Got the Right」「Rise and Fall」といったところ。「Eagle Fly Free」や「I Want Out」は「まあまあだな」という程度だった。私は変わり者かもしれない。
もちろん現在は、このアルバム曲も全部好きだ。

ところが、この後の『Pink Bubbles Go Ape』がいけない。Helloweenの要と思っていた、実質リーダーのはずのカイ・ハンセンが脱退してしまい、その上、初期に契約していたNOISEレコードとモメて発売が伸び伸びになってしまい、しばらく音信不通になってしまったからだ。発売されたのは91年になってからだ。
このアルバムにも良い曲が沢山あるが、いったん冷めてしまった熱は戻らなかったし、雰囲気が変わってしまったのも事実だろう。カイがいなくなったことだけでなく、バンド内のバランスにも色々変化があったようだ。
この次の『Chameleon』は更に「困ったちゃん」アルバムだ。良い曲もあるのだが、Helloweenに期待しているものと違いすぎるからだ。キスクのソロだったら気に入っただろうし、現にキスクの1stソロなど相当好きな1枚だ。

Helloweenからキスクが脱退し、もはや復活は無理と諦めていた頃、アンディ・デリスを迎えて『Master of the Rings』がリリースされた。アルバム名が何となく『Keeper』と似ていることから、ダメ元で聴いてみた。
「Helloweenが戻ってきた!」キスクとは違うが、まさにHelloweenだ! 正直、嬉しかった。
一番好きなのは「Why?」だが、「Where The Rain Grows」「In The Middle Of A Heartbeat」あたりも好きだし、その他もどれも良い出来だ。新加入のアンディの作る曲がほどよくポップでHelloweenにピッタリだ。前バンドのPink Cream 69も聴いてみたが、今いちだった。Helloweenの方が彼にあっているのだろう。

こうしてHelloweenはアンディをバンドの顔として再出発をする。あれから四半世紀。現在はカイとキスクを戻して夢のラインナップで『Pumpkin United』のツアーをしているし、ライブ・アルバムもリリースする予定らしい。是非とも買いたいと思う。アルバムも1枚は出してほしいし、このランナップを長く続けてほしいと期待している。無理かもしれないけど。。。

2018年12月6日木曜日

Bernie Marsden

Whitesnakeのバンド結成時に加入したバーニー・マースデン。すでにデイヴィッドの2枚のソロ・アルバムからミッキー・ムーディがギタリストとしてデイヴィッドの補佐役となっていたが、デイヴィッドが(Deep Purpleとの差別化の意味もあり)ツイン・ギターのバンドを想定していたし、ミッキーも自分が一人で看板ギタリストを背負うのは自信がなかったらしく、あっさりとバーニー・マースデンを加えることになっている。
バーニーのギタリストとしての腕はもちろんだが、それ以上に作曲能力や歌が上手いことも参加の決め手となっている。つまりデイヴィッドは作曲の相棒として見ていたことになる。これは後のメル・ギャレー、ジョン・サイクス、エイドリアン・ヴァンデンバーグ等と同じ立場だ。デイヴィッドは作曲パートナーの存在を重要視しているので、加入時からバーニーは特別な存在であったことが分かる。

バーニーは加入後、早速作曲で能力を見せつけ、短時間で「Come On」を作って見せる。それ以降のWhitesnakeの曲作りはディヴィッドとバーニーが核となり、たまにミッキーという図式になる。
本当は、当初はバーニーだけがパートナーではなく、曲を書ける人は書くスタイルだったようだが、ミッキーは多作な方ではなく、大物ミュージシャンのジョン・ロードやイアン・ペイスも作曲能力はたいしたことがないので、デイヴィッドとバーニー中心にならざるを得ない状態で、何よりそれがデイヴィッドのスタイルとして楽なやり方となっていく。それはDeep Purpleでリッチー・ブラックモアが何かギターのアイディアを示し、それに適当なメロディをつけて歌いながら曲の骨子を固めていくというやり方と同じで、それがデイヴィッドの曲作りのスタイルとなることになっていく。
このスタイルのおかげで悩まなくてはいけなくなるのがヴィヴィアン・キャンベルだったりレブ・ビーチだったりするのだが、それはまた別の機会に。

デイヴィッドとバーニーの相性は良く、次々に名曲を生み出し、ヒット曲も出した。「Fool For Your Loving」だ。
バンドは短いサイクルで激烈に活動し、早いテンポでアルバムを出し、ライブ・ツアーに明け暮れ、やがて疲弊していく。バンドが悪いマネジメント契約に縛られ、働いても働いても金が回って来ない状況にもウンザリしている状態。ミッキーによると、「売れていて、ライブでも人が満杯になるのに、いつもバンドは借金をかかえている」と言われていたそうだ。
バーニがクビになる原因は、恐らく明るい性格のバーニーが悪ノリしすぎていて、バンドの契約問題でピリピリしていたデイヴィッドの怒りを買ったからだろう。バンドに緊張感がなく、停滞気味になっている一番の元凶は能天気な雰囲気のバーニーだということになったのだと思う。バンドの士気も下がりに下がって、結局1981年いっぱいで、マネジメント契約から脱するためにもバンドは活動停止状態となる。
その一方で、デイヴィッドとバーニーはバンドがダメになっても作曲パートナーは存続させようと語り合ったそうだ(バーニー談)。ということは、デイヴィッドはバーニーの作曲能力や相性の良さを自覚していたということと、Whitesnakeがここで消え失せるのも覚悟していたのだということが分かる。

1982年夏にバンドが再開した時、そこにバーニーの名前はなかった。デイヴィッドの長年の念願だったメル・ギャレーの参加が決まったからだ。簡単に言えばデイヴィッドの裏切りだ。ここでバーニーのWhitesnakeとしての歴史は終わる。

だが、バーニーの遺した遺産はバンドにもデイヴィッド個人にも多大なものがあった。半年もすると早くもデイヴィッドは懐かしく思い、メルに「バーニーはこうやっていた」とか「バーニーはこんな風に弾いていた」と言うようになり、気を悪くしたメルが「それならバーニーを戻したらどうだ」と言い返したという。
楽観的でさっぱりした性格のバーニーは、1983年にWhitesnakeを見に行き、そこで裏切り者・デイヴィッドとも声をかわしている。だからバーニーとデイヴィッドの仲は悪くない。

デイヴィッドは敵を作りやすいタイプの人間で、侮辱して去らせたミッキー・ムーディ、陰湿に別れることになったコージー・パウエル、大ゲンカしたジョン・サイクス、見下したように去っていったヴィヴィアン・キャンベル等、最悪の関係になってしまった人も少なくないが、バーニーとは友好的な別れであった。それはひとえにバーニー側の性質によるところが大きい。
デイヴィッドが人を切る際、突然連絡を断ち、金も支払わず、それっきり、というパターンがほとんどだ。問題のあるやり方だが、それをまともに乗り越えたのはバーニーだけではないかと思う。バーニーは最近でも何度かWhitesnakeのライブに飛び入り参加している。

そして忘れてはならないのは、Whitesnakeが大ブレイクしたのもバーニーの功績が大きいということだ。『Serpens Albus』の「Here I Go Again」と『Slip of The Tongue』の「Fool For Your Loving」はバーニーの曲だ。(「Crying In The Rain」もバーニー時代の曲)
特に「Here I Go Again」は1位になっているし貢献度は大きい。Whitesnakeの大ブレイクはバーニーの曲とタウニー・キタエン(ビデオ・クリップで目立ちまくった)、そして時代に乗ったヘア・メタルのインパクトが3大要因ともいえる。もちろんWhitesnakeはデイヴィッドのバンドなので、本人の頑張りが一番大きいし、ジョン・サイクスの貢献度も大きいに決まっているが、それは売れたアルバムなら当然のことだ。それが基本的にある上で、バーニーとタウニーとヘア・メタルの雰囲気が大きかったという話しだ。

思うに、バーニーだけはWhitesnakeの数多くの元メンバーたちの中でも一番の重要人物といえるのではないかと思う。
ミッキーも重要で、デイヴィッドにとっての最初の相棒だが、曲作りでの貢献はアップテンポのロック・ソングのみ(デイヴィッドの初期の2枚のソロを聴けば瞭然)だし、ギタリストとしても弱い。弾きまくるハードロッカーとして、そして作曲家、またヴォーカリストとしてもWhitesnake始動の最大の推進力だったといえると思う。2枚のソロよりもWhitesnakeの最初のEPや1stアルバムの方が魅力的なのを見ても明らかだ。何といってもハードロック・テイストが加わっている。
また「Free Flight」ではバーニーがリード・ヴォーカルだし、「Lie Down」にもソロのパートがあるように、Deep Purpleでのヂヴィッドとグレン・ヒューズのようなツイン・ヴォーカルの再現を目論んだ形跡もある。このあたりからもバーニーの存在感の大きさが分かる。

バーニーはハッピーな性格で、時折イタズラな感じも漂わせつつ、いつも楽しそうにニコやかな表情を浮かべている(ステージではデイヴィッドがやや強面を狙うような感じでやっていたのとは対照的)。解雇の時も恨みつらみを引きずらないし、かなりのナイス・ガイだと思う。ちょっと太めなのが玉に傷といったところ。